「将来と希望を与える計画」
2026年1月1日(木・元日) テキスト:エレミヤ書29:11(旧約聖書1,344頁) エレミヤは、南王国ユダの預言者として紀元前627年から583年頃まで活動しました。この時代は、南ユダが崩壊し、民はバビロンに捕らえ移されるという、イスラエル史において、最も暗い、悲劇的な時代でした。 エルサレムの崩壊、南ユダ王国の滅亡は、住民たちにとっては、住み慣れた故郷を離れて遠い遠い、異邦の地バビロンに捕囚として連れ去られる悲劇でもありました。 バビロン軍に首都エレサレムが包囲され、陥落していく時、飢饉が町を襲い(兵糧攻め)、食料が不足し、自分の子どもさえも食べるという異常な状況だったということです。聖書はそれらの想像を絶する悲惨な出来事が起こったのは、神さまからの度重なる警告を無視し続けた偶像崇拝の罪の結果だったと述べています (哀歌1:1~11) 。 バビロン捕囚の出来事を思う時に、確かに厳しい神さまが描かれていると思います。しかし、旧約聖書と新約聖書とでは書かれているスタンスが全く違い、旧約聖書は基本的に民族史で、民族を守るために神さまが
佐々木 優
2025年12月29日読了時間: 3分
「神は愛ですの一点だけでいい」
2025年12月28日(日) 神であり神の御子である方が完全に一人の人間となられたのがイエス・キリストの降臨でした。故に、人間には理解しにくい面が多々あったのだと思われます。 イエスさまが12歳の時の出来事として、 「しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。」(ルカ2:50) とある。 それは、身内の人たちもであった( マルコ3:20~22、31 )。 そして、イエスさまの郷里の人たちも( マタイ13:53~57 )。 イエスさまの宣教活動の初期頃にはイエスさまの語ることが理解できずに弟子たちが離れて行ったと記されています( ヨハネ6:66 )。 ヘブル人にとっては聖書はダビデ王朝の復興がテーマになっています。しかし、神さまはダビデ王朝復興には希望がないことを示します。旧約聖書の後半はひたすらにこのことを描き出しています。しかし、イスラエルの民衆の心はイエスさまが宣教活動をする時までほとんど変わっていませんでした( マタイ3:7~9 )。 様々な背景があって、イスラエルの民の神さまのイメージも複雑でした。...
佐々木 優
2025年12月28日読了時間: 2分
「イエスさまが私たちの現場に共におられる」
2025年12月21日(日) 14節「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」 イエスさまの12弟子の一人ヨハネは、イエスさまを「ことば」として紹介します。 ヨハネの福音書1:1~3には 1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。 と記されています。この「ことば」イエスさまは、宇宙の枠組みを創造された時に神と共にあった、神ご自身である方です。想像を絶する、遠い天におられるはずの神が、クリスマスの出来事において、私たち人間の歴史の中に、人間の現実のただ中に身を置かれたということです。弱さ、限界、傷つきやすさ、老い、痛み、そして死を含む、壊れやすい人間の現実そのものの中に・・。イエスさまは高い所から私たち人間を眺めるために来られたのではなく、私たちと同じ環境に身を置くために来られたのです。 「住む」 ということばは、「仮住まいをする」「幕屋を張る」という意味
佐々木 優
2025年12月21日読了時間: 3分
「良き知らせを伝えるために」
2025年12月14日(日) ヘブル人にとっては聖書はダビデ王朝の復興がテーマになっています。しかし、神さまはダビデ王朝復興には希望がないことを示します。旧約聖書の後半はひたすらにこのことを描き出しています。 イエスさまの宣教活動の下準備をしたバプテスマのヨハネはイスラエルの宗教家たちに言いました。 マタイ3:7~9 3:7 ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。 3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。 3:9 あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。 イスラエルの民衆の心はイエスさまが宣教活動をする時までほとんど変わっていなかったのです。それは、ダビデ王朝復興だったのです。 イエスさまが30歳を過ぎた頃、宣教活動を開始された時にこのように言われました。 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改
佐々木 優
2025年12月14日読了時間: 3分
「神さまが暗闇に光を射し込んで下さる」
2025年12月7日(日) テキスト:イザヤ書9:1~7 (旧約聖書1,180頁) イザヤ書は、紀元前700年代に活動した預言者イザヤが記した書物であるが(預言者とは、後の時代に起こる事柄についての予告もするが、同時代の人々に神さまのことばを預かり宣告した人のこと)、この時代は、アッシリア帝国という帝国が強大な勢力を持ち、北イスラエル王国を滅ぼし、征服した国の王侯貴族、指導者、技術者たちを捕虜としてアッシリアに移住させ、そして、アッシリア人をサマリアの地に住まわせるという捕囚政策が行われた時代であった。 このような悲惨なことが起こった理由を聖書は、神さまがイスラエルの民を愛しているということを示していることに気付きながらもなお、死人に尋ね求めるということが行われた故であるとしている。その結果、霊的(神さまとの関係)、国家的、環境的暗黒の状態は長く続いた。霊的には預言者は絶え、国家的には他国に隷属して独立もならず、環境的には被支配の苦しみ、激しい困難に合った。それは「死の陰」の地と言われるほどの全き暗黒の時代であった。 しかし、神さまはさまよう民に
佐々木 優
2025年12月7日読了時間: 4分