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「良き知らせを伝えるために」

  • 佐々木 優
  • 2025年12月14日
  • 読了時間: 3分

2025年12月14日(日)

ヘブル人にとっては聖書はダビデ王朝の復興がテーマになっています。しかし、神さまはダビデ王朝復興には希望がないことを示します。旧約聖書の後半はひたすらにこのことを描き出しています。

イエスさまの宣教活動の下準備をしたバプテスマのヨハネはイスラエルの宗教家たちに言いました。マタイ3:7~9

3:7 ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。

3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

3:9 あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。

イスラエルの民衆の心はイエスさまが宣教活動をする時までほとんど変わっていなかったのです。それは、ダビデ王朝復興だったのです。

イエスさまが30歳を過ぎた頃、宣教活動を開始された時にこのように言われました。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)

「時が満ち」・・何の時が満ちたのでしょうか・・。ダビデ王朝復興思想の変換をする時が来たということだと思います。「悔い改めて」(ギリシャ語メタノイア)は視点の転換を意味することばです。「福音を信じなさい」「福音」とは「良き知らせ」ということです。この時代の人々にとっての良き知らせとは、形にこだわる旧約時代の信仰ではなく、人間の努力で上に向かっていくようなダビデ王朝復興思想ではなく、形にこだわらなくていい、素のままでいい、人間の努力で上に向かっていくのではなく、イエスさまがやって下さるから大丈夫だという受け止めでいいという良き知らせだったのだと思います。「信じなさい」信仰とは、求めることではなく、与えられていることに気づくだけのことを意味します。

「神の国」の特徴は、何んの上下関係もない、皆が平等で、一人一人が安心して素のままでいられるところということです。

神であるイエスさまは人間の姿をとり地上に来て下さり、歴史上目に見える形で十字架にかかられました。十字架で人間の罪の問題をすべて終わりにするために・・。

イエスさまは人間の姿をとって地上に来られ、貧しい人、弱い人たちに寄り添われました。そして、その後に生きる人間一人一人にも、一緒に生きてほしいという一人一人と寄り添って生きて下さるのです。

これらすべての良き知らせを伝えるためにイエスさまはこの地上に来て下さったのです。

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