「ありのままを訴える」
2026年1月11日(日) テキスト:詩篇55:1~23 (旧約聖書988頁) この詩篇の作者ダビデは、死と隣り合わせの逃亡生活を続けざるを得なくなった時、同族の者たちからも裏切られました。そのような危機的な状況の中の心境を記した詩篇は、恐怖におびえた心を、迫害者に対しての苦々しい思いを、そのまま神さまにさらけ出しているのです。 1~3節「神よ私の祈りを耳に入れ私の切なる願いに耳を閉ざさないでください。私をみこころに留め私に答えてください。私は悲嘆に暮れ泣き叫んでいます。それは敵の叫びと悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを降りかからせ怒って私を攻めたてています。」 4~5節「私の心は内にもだえ死の恐怖が私を襲っています。恐れと震えが私に起こり戦慄が私を包みました。」 6節「ああ私に鳩のように翼があったなら。飛び去って休むことができたなら。」 15節「死が彼らをつかめばよい。彼らは生きたままよみに下るがよい。悪が彼らの住まいに彼らのただ中にあるからだ。」23節「しかし神よあなたは彼らを滅びの穴に落とされます。人の血を流す者どもと欺
佐々木 優
1 日前読了時間: 1分
「素のままの詩篇が好きだったイエスさま」
2026年1月4日(日) テキスト:詩篇22:1~18(旧約聖書952頁) 神であり神の御子である方が完全に一人の人間となられたのが、地上におられた時のイエス・キリストでした。 ヘブル人への手紙の著者は、イエスさまの生き方を 「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」(ヘブル5:7) と描いています。 私たちは「神の御子」である方ならば、当然、どのような状況下でも、自分の心を平静に保つことができると思いがちですが、イエスさまは「大きな叫び声と涙をもって」ご自分の気持ちを父なる神さまに訴えておられたと描かれているのです。そこで述べられる「敬虔」ということばには「恐れ、不安」という意味もあり、すべての解決を父なる神さまに期待するという思いがあります。それは多くの人が抱く心の「平安」のイメージとは異なり、神さまがともにいてくださらなければ自分では何もできないという思いであり(人となられたイエスさまの姿)、徹底的に神さまに依
佐々木 優
1月4日読了時間: 3分