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「自由で創造的な神さまと生きている」

  • 佐々木 優
  • 2024年7月7日
  • 読了時間: 3分

2024年7月7日(日)

テキスト:使徒の働き7:1~16(新約聖書244頁)


 本日の聖書箇所にはステパノの最高議会での弁論が記されている。

 ヘレニスト・ユダヤ教徒(外国育ちのギリシャ語を使うユダヤ教徒)たちがステパノを訴え出た理由は、エルサレム神殿とそれにまつわる儀式律法の廃棄を教えたということで、神とモーセを冒涜した罪だということだった。

 この訴えに対するステパノの弁明は、演説であり、自分の信条を盛り込んだものであり、使徒の働きの中でも最も長い。アブラハムから始まるイスラエルの歴史を詳しく物語ることによって、実は、イスラエルの歴史と人物(アブラハム、ヨセフ、モーセなど)は、イエス・キリストを約束のメシヤだと証言していることになっているのだと述べている。律法も神殿も、イエス・キリストにおいて完成したのであると・・。

 大祭司の「そのとおりなのか」との尋問(1節)に対してステパノは、「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。」(2節)と語り出す。「兄弟」とは、親愛の情を込めた温かい呼びかけであり、議会にいたずらにたてつく者ではないことを示すために、サンヘドリンの議員たちに対する尊敬の呼びかけとして「父である皆さん」と呼びかける。

 訴えの「神を冒涜」しているという点で、ステパノは、「栄光の神」がアブラハムに現れた(2節)ということから、「栄光の神」とはどういう神であるのかを解き明かす。

1.「栄光の神」とは、土地と場所に束縛されず、どこにでもおられ、どこにでも現れ、どこででも栄光を現わす方である。

 「栄光の神」は、アブラハムが「まだメソポタミアにいたとき」に現れ(2節)「ハランに住み」ついたアブラハムを「この地に移されました」(4節)。ヨセフがエジプトに売り飛ばされても、「神は彼とともにおられ」(9節)たのである。イスラエルの歴史のどの段階、どの場面、どの舞台をとってみても、神さまは共におられたのである。

 ステパノは、ユダヤ人は(各地を転々とした)幕屋と神殿を神さまの礼拝場所として守り続けてきたが、神さまご自身はこれらの礼拝場所に縛られているわけではないのだと述べたのである。

2.「栄光の神」は、神殿におけるいけにえの儀式という形でだけ礼拝されるのではなく、色々な形の宗教生活・礼拝生活で交わりうる方である。

 「栄光の神」は、アブラハムがまだメソポタミアにいて、何の契約も律法も儀式も持たない時に現れて、おことばを賜る(3節)。カナンに来て、何の相続財産もない状態のアブラハムに「約束」を賜る(5~7節)方。そして、「割礼の契約」によって新しい関係にはいられる(8節)方である。

 ステパノは、神殿とそれにまつわる儀式律法にしがみついていたユダヤ教徒に対して、幕屋も神殿もなかった頃のイスラエルの歴史を示し、神さまは歴史のある時期ある段階に、違った形でご自分を啓示し交わってこられた。歴史的にみて、神さまの啓示も礼拝の形も発展があったのだから、メシヤ(イエス・キリスト)の来臨、聖霊の降臨の新しい時代が来ていることを思えば、聖所と律法がすたれて、新たな神さまとの交わりの形が生まれるのは当然であると主張している。

 私たちはこの自由で創造的な神さまと共に生きている。


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