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「最大限の考慮をして下さるイエスさま」

  • 佐々木 優
  • 8月3日
  • 読了時間: 4分

2025年8月3日(日)

テキスト:使徒の働き10:40~42 (新約聖書255頁)


 本日も、ペテロが、コルネリウスに、私たち(コルネリウスとペテロ)に幻の中で語りかけて下さった御方、イエスさまとはこのような御方ですと伝えている箇所の続きを見て行きます。

(40節:神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。)

 イエスさまの弟子たちは、イエスさまの地上でのご生涯の三年半を肉眼で見て、イエスさまが十字架にかけられて死んだこと、そして三日目によみがえったことの証人となるためにも神さまからその大役のオファーを受けた人たちでした。

(41節: 民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。)

 よみがえったイエスさまがいきなり民全体の前に現れたならば、大変な混乱が起きていたかもしれません(弟子たちも寂しく思ったかもしれません)。「神によって前もって選ばれた証人である」イエスさまの弟子たちに、そして、民全体に、という神さまのご配慮による順序というものがあったのだろうと思います。そして私たちにはその時々に理解できずとも、そのような神さまのご配慮による順序というものは今日においてもあるのだと思います。

(42節:そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。)

 「さばき主」ギリシャ語クリテースは裁判官、審判者という意味の言葉です。聖書を見る時に、神さまは、裁判官、審判者という御方でもあるのですが(聖い方だから・・とそう思ってしまう面もある)、しかし、父、牧者として、赦してくれる、愛してくれる、寄り添い、温かく包み込む存在として描かれているのです。神さまは義であり愛なる御方なのですが、その義は愛に内包されているというようなイメージなのです。神の義が全面に出て来るというよりは、神の愛が表される中に神の義も内包されている形で私たちに表出されるのです。

 私たちは聖書を読む時に厳しく感じることばがあると、そこが大きくクローズアップされ、神さまは厳しく恐い方というイメージを持ちやすいのですが(イエスさまをパートナーとして生きているにもかかわらず、かつてのパートナー律法との生き方が抜けきれないため)、その箇所から、章へと広げ、そして書へと広げ、聖書全般へと広げると、聖書全般は神さまは愛なる方であるということが分かるのです。

 確かに私たちは、Ⅱコリント5:10にもあるように、「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。」と・・

 最後の審判と言われる時に、神さまの御前で「申し開き」(Ⅰペテロ4:5)をする時が訪れますが、その時とは、誰もが納得をする神さまの公平な判断がなされる時なのです。

 神さまは私たち一人ひとりに異なるものさしを持っておられ、聖なる基準がありながらも、判定されるときには一人ひとりの摂理、それぞれが生きてきた環境、文化、状況などを最大限考慮される神さまの公平な判定がなされるのです。紋切り型の基準で人を切るやり方ではなく、一人ひとりを大切にして最大限状況を考慮してくださるのです。ですので、本日の箇所に出て来る「さばき主」も、最大限の考慮をして下さる公平なジャッジをされるイエスさまのことを意味しているのです。

 ヨハネの福音書6:39「わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。」

 イエスさまは、すべての人を天国に連れて行くと言われます。

イエスさまは、このようなご自分であることを宣べ伝え、証ししてほしいと言われたのです。


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