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「聖霊が臨む時に受ける力とは」

  • 佐々木 優
  • 2023年5月13日
  • 読了時間: 5分

2023年5月14日(日)

テキスト:使徒の働き1:4~8 (新約聖書232頁)

 ヨハネの福音書16:7節でイエス様はこう述べられた。「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」

 イエス様の贖いの十字架・復活を宣べ伝える福音宣教の働きは、イエス様の十字架・復活・昇天の後、父なる神様のもとから遣わす助け主としての聖霊と、イエス様のみことばと御業の目撃者である証人とが共に宣べ伝えていくのであるが、イエス様が天に帰られた(昇天)後、迫害は弟子たちに向けられる。しかし、弟子たちがイエス様について証言する時、助け主なる聖霊が彼らを助ける。イエス様がこの地上を去っていくことによって、イエス様を信じる一人一人に助け主なる聖霊が与えられるから、イエス様がこの地上を去っていくことは益をもたらすのであると述べている。聖霊が与えられる益の大きな点は、イエス様を証言する時に与えられる助けなのである。

 4~5節「使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。』」イエス様は弟子たちとの別れの時、すなわち昇天の時に、「エルサレムを離れない」ようにと命じられた(弟子たちはガリラヤに戻ることを考えていたのかもしれない)。その理由は、「聖霊によるバプテスマを授けられるから」ということであった。

 イエス様の十字架後、傷心の弟子たちは、復活のイエス様に会い、三年半余り寝食を共にしていた時の平安な日々をまた送っていくことができるものと喜んでいたに違いない。しかし、再び別れなければならない(昇天)ことに大きな寂しさを感じていたであろう・・。

 「聖霊によるバプテスマ」とは、コロサイ人への手紙1:27で「あなたがたの中におられるキリスト」と表現されるように、簡単に言えば、イエス様が信じる者の内に宿ってくださったということである。寂しさの中にある弟子たちのところに、弟子たちの内側に宿るというかたちでイエス様が戻ってきてくれたのである。

 しかし当然、この時の弟子たちには、「聖霊によるバプテスマを授けられる」という意味が理解できていなかったのであろう。なぜならば続く6節には「そこで」とあり、「そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。『主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。』」という問いかけをしているからである。弟子たちは「エルサレムを離れないで」と言われたことや、「聖霊によるバプテスマを授けられる」と言われたことから、何か特別なことが起きるのではないかと思い、今こそ、イスラエルをローマ帝国の支配から解放してくださるのですかという問いかけをしているのである。その願いは、当時のユダヤ人全般が切望していたことであり、神の民として選ばれたイスラエルが何故、ローマ帝国の属国となり、様々な憂き目に遭うのかという払しょくできぬ疑問から発せられたものであろう。弟子たちの「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」という言葉には、依然として弟子たちがイエス様に抱いているメシヤ像(人間の業を超えている強大な力を持ってイスラエルを導いていくリーダー)が変わっていないことが表わされている。弟子たちにはイエス様が神政国家を再建されることを期待して、つき従ってきたという面が多々あるからである。そんな弟子たちの問いかけに対してイエス様は答えられた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」(7節)確かに神様の完全なご支配がこの地上に起こる時が来るが、その時は神様にしか分からないのだと言われた。そして、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(8節)と言われた。今この地上での神の国とはこのようにして造られていくのだと。聖霊が臨む時、あなたがたは力を受け、エルサレム、すなわち、身近な人々、自分のまわりから、ユダヤとサマリヤの全土、すなわち、弟子たちの出身地、故郷、そして地の果てにまでイエス様の証人となると言われた。聖霊が臨むことによる賜物には色々な賜物がある(Ⅰコリント12章、等々)。しかし、「使徒の働き」が示す何よりもの聖霊の賜物は、イエス様の証人として生きるための聖霊の力づけである。その力づけとは、弟子たちがイエス様について証言する時、助け主なる聖霊が彼らを助けることを指すが(ヨハネ16:7)、弟子たちが最も証ししたかったのは、自分たちの師でもあったイエス様という御方がどのような御方だったのかということだったのではないか・・。

『神さまイメージと恵みの世界』の著者、河村従彦先生はその著書の中でこう述べておられる。「神さまの恵みの世界では、失敗は怖くありません。また、致命的でもありません。赦しは無限です。再チャレンジがいつでもできます。失敗があっても、『それはそれでいいじゃないか。またいっしょにやろうよ』と、何度も何度も声をかけられます。私たちが『少し疲れました』と言えば、『そのままでいいよ。それじゃあ、しばらく立ち止まろう』と言って、いっしょに立ち止まってくださる方です。この恵みの世界の『ゆるゆる感』、なかなかいいものです。」

 弟子たちは、そんな恵みの世界を感じさせて下さっていたイエス様、そして、自分のために命を捨てて下さった御方を証ししたかったのではないか・・。そして聖霊は証ししたいという弟子たちを力ずけ助けたのである。

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