「私が十字架につけたと聞いて心を刺された」
- 佐々木 優
- 2023年6月24日
- 読了時間: 3分
2023年6月25日(日)
テキスト:使徒の働き2:36~40 (新約聖書236頁)
36節「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
ペテロは、イスラエルの民衆に、このことをはっきり知らなければならないと述べた。神様が今、聖霊降臨の御業によって、イエス・キリストが神(主)であり、預言されてきたメシヤ・救い主(キリスト)であることをはっきりと示された。あなたがたはこのイエスを十字架につけたのだと。イスラエルの宗教指導者のみならず、デマに流されたこの場にいたイスラエルの民衆、離散の民すべてがイエス・キリストを十字架につけたのだとペテロは語ったのである。
37節「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。」
イスラエルの民衆は、ペテロを通して聖霊が語ることばに心を刺された。ここにいる民衆はユダヤ教信者であるから、天地万物の創造主である父なる神様の存在は信じていた者たちである。その人々が、あのナザレ人イエスは旧約聖書が預言していたメシヤだということを信じられたのである。そしてその神であるイエス・キリストを自分たちが十字架につけてしまったというペテロの指摘がその通りであると分かったのである。「心を刺され」の「刺され」の動詞カテヌゲーサン(強く刺す)は、新約聖書中この箇所でしか使われていない。それほどまでにペテロの指摘が突き刺さった人々の状況、雰囲気を表現しているのだろう。
故に、人々は「ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』」と言った。
38節「そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。』」
「悔い改める」ということ。イエス・キリストを神と認めず背を向けていたここにいるイスラエルの民衆に、イエス・キリストの方に向き直る180度の方向転換を示した。
「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」ということ。悔い改めてイエス様が神であり救い主だと言い表せる至った信仰のしるしとしてバプテスマを受けなさいと示した。
そうすれば、イエス・キリストを神と認めずに十字架につけたその罪は赦されると述べた。
そして、「賜物として聖霊を受ける」と述べた。悔い改めてイエス・キリストを信じたということは聖霊を受けたということの証明であり、それは、ペンテコステに起こった奇蹟的しるしを伴う聖霊の働きと同じ賜物なのである。
これらの約束は、「あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」(39節)とペテロは述べた。