「欠けを自力で補おうとしなくても」
- 佐々木 優
- 2024年5月12日
- 読了時間: 4分
2024年5月12(日)
テキスト:使徒の働き1:15~26 (新約聖書233頁)
本日の箇所には2つのことが書かれています。
1.ペテロの発言 15〜22節
2.使徒職補充の手続き 23〜26節
1章16節にはこのように記されています。
1:16 「兄弟たち。イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。」
ペテロは、旧約聖書のことばを引用し、ユダの裏切り、自死の事件は旧約の預言の成就だという言い方をしていますが、そのような受け止め方で良かったのだろうか・・。
ペテロはここで使徒職に加わるための基準を示します。その基準は2つありました。
1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
イエスさまが生活してくださった間、行動をともにした人物、これが1つ目で、2つ目が、イエスさまの十字架と復活の目撃者であることでした。
ユダの事件はペテロにとって2つの意味があったと考えられます。1つ目は、自分の仲間の1人が先生を裏切ったというショッキングな出来事・・。しかしそれだけではなく、ユダの裏切りはペテロ自身の生き方を映し出すものだったということです。受難週前までは自分とユダは違うんだとペテロは思っていたかもしれない・・。しかし、あの大祭司の中庭でイエスさまを三度否認した出来事で、自分とユダは変わらないということに気づいたのかもしれない・・。ペテロはユダの裏切りのことを取り上げれば自分の過去、自分の姿に向き合うことになってしまう・・。この補充はそういう意味ではペテロにとっては大きな意味がありました。しかしそれでもなぜ弟子たちはペテロの提案を受けてマッティアを選んだのでしょうか・・。復活されたイエスさまは欠員補充をされなかったのに・・。
マルコの福音書16章14節15節
16:14 その後イエスは、十一人が食卓に着いているところに現れ、彼らの不信仰と頑なな心をお責めになった。よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを、彼らが信じなかったからである。
16:15 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」
イエスさまは復活された後、いつでも欠員補充ができたはずです。しかしあえてそうされませんでした。そして11人に出て行くように言われました。それにもかかわらずなぜこのような提案をペテロはしたのでしょうか・・。
使徒の働きはルカが記しました。ルカが使徒の働きを書いた目的には、恩師であるパウロを擁護するため、かつてはクリスチャン迫害者であったパウロを擁護し、パウロこそ使徒職を引き継ぐ者であるという意識を持っていた故に使徒の働きを記したということがあったのかもしれない・・。パウロを応援していたルカがマッティアの使徒職継承の記事をここに載せたのは、ルカはマッティアの使徒職継承のことを必ずしも肯定的なこととして受け取っていなかったのではないか・・この継承は果たしてどうだったのかという意味で記録に残したということではないか・・。
イエスさまが欠員補充をされなかったことと合わせて考えれば、変なふうに小細工しないで11のままでもよかったのかもしれない・・。
ペテロは、かつては12だったのに11になってる自分たちのグループを見るたびに、自分の失敗も思い起こされ、できれば早くもとの12に戻したいという思いもあったのかもしれません。ユダヤ的発想という問題もあったかもしれない・・。11よりも12を大切にし、6よりも7を大切にします。しかし、11 は11のままで、空席は空席のままでよかったのかもしれない・・。
使徒の働き2章2節
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
ここに「天から」と書いてあります。ですから神さまがしてくださる、これが聖書の基本的な方向性であり、使徒の働きは、聖霊がして下さるということを記している書物でもあります。
自分に欠けがあっても、神さまがその欠けを覆って下さる・・。自分にとってのユダの空席を自力でなんとか埋めようとしなくてもよいのではないでしょうか・・。