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「教会はイエスさまのものだから」

  • 佐々木 優
  • 2025年11月16日
  • 読了時間: 3分

2025年11月16日(日)

テキスト:使徒の働き12:24~25 (新約聖書259頁)


(24節:神のことばはますます盛んになり、広まっていった。)

 このことばは、ヘロデ・アグリッパ王による激しい教会迫害があったにもかかわらず神さまのことばはますます盛んになり、広まっていったということを示している。それは神さまがなさっておられるからです。ヘロデ・アグリッパ王のことも愛しておられる神さまの股裂き状態のような中で教会は滅び失せるのではないかと思うような時があっても、教会はイエスさまのものであり、いのちがあり生き物なのであり、故に滅びることはないのです。

 教会はイエスさまのものであり、どこまでもイエスさま中心です。教会は誰も自分のものとしてはいけません。これが教会としての最低条件であり、あとは、多様性を徹底して認めるのが新約の教会です。

教会はギリシャ語で「エクレシア」、「呼び出された者」という意味であり、イエスさまを救い主として信じた者が集っている、イエスさまを頭とした、いのちであり、生き物なのです。

人間は神さまのかたちが組み込まれており、それ故に毀損してはならないという大原則があり、これが神の国です。出エジプト記に出て来る「十のことば」は、人間の尊厳を毀損してはならないということがテーマになっています。

 イエスさまは神の国の実現を目指して行動されました。神の国とは、一人一人の存在と尊厳がそのまま認められ、温かい寄り添いがされる場です。そしてそれを引き継いでいるのが教会です。

 イエスさまは失敗や罪を責めることもなく(ヨハネ8章の姦淫の現場を押さえられた女性、等々)、信仰が足りないことを指摘することもなく、「そのままでいいよ」と、ただその存在を認め、温かく寄り添われました。

神の家族、教会は、そのままでいいよとそのまま認められるところなのです。

ですから、教会出席の頻度、活動への参加の度合い、奉仕については、基本的に本人の尊厳の問題であり、何の義務もありません。全部が自由なのです。

教会はイエスさまのものであり、地上で唯一の、たましいの安全基地なのです。

 教会は信頼関係を壊すようなことをしなければいいということが鉄則です。

 教会には上も下もあってはいけません。教会に上下があるとイエスさまの邪魔をすることになります。指導や力が導入されるとイエスさまの邪魔をすることになります。邪魔がなければ教会はたましいの安全基地なのです。

(25:エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。)

 この節は、使徒11:29~30のアンティオキア教会がエルサレム教会に支援物資を送り届けた後のこととして記されていますが、教会は邪魔がなく、たましいの安全基地である限り、次世代(マルコ)への働きの移行もイエスさまがスムーズになさっていかれるのでしょう。

 教会はイエスさまのものであり、イエスさまが建てるものだからです。「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」(マタイ16:18)

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