「愛のゆえに力を制限される神さま」
- 佐々木 優
- 11月9日
- 読了時間: 5分
2025年11月9日(日)
テキスト:使徒の働き12:1~23 (新約聖書257頁)
1~4節
アンティオキア教会がエルサレム教会へ救援物資を集めていた頃、紀元44年の過越の祭りの頃、ヘロデ王(アグリッパ1世、イエスさま誕生の時の支配者だったヘロデ大王の孫、ローマ皇帝カリギュラと親交があった)は、ヘロデ王家が混血であったため、保守的なユダヤ人たちの歓心を買おうとし、異邦人との交流を深めていたエルサレム教会への迫害に着手し、12使徒の一人で使徒ヨハネの兄ヤコブを剣で殺した(これは斬首刑であり、ユダヤ人の死刑法の中では最も恵みに富んだものと考えられていた。それ以外の死刑法は、石打の刑、火あぶりの刑、絞首刑などがあった。この時の斬首刑はヤコブが背教の罪で死刑に処せられたことを示している)。
ユダヤ人たちはヤコブの死刑を喜び、ヘロデ王はさらにペテロも捕らえにかかった。それは、ペテロが教会のリーダーであり、異邦人と親しくしていた(百人隊長コルネリウスとの親交)からであろう。ここで使われている「種なしパンの祭り」は「過越の祭り」と同じ意味で使っているが、ヘロデ・アグリッパ王はペテロを処刑するのに最もインパクトのある日は祭りの日であると考えたのであろう。
ペテロは四人一組の兵士四組(16人の番兵)6時間交代の24時間体制という厳重な監視下のもとで牢屋に入れられた。
5~11節
2人の番兵は鎖でペテロと手をつないで牢の中におり、残り2人の番兵は外にいるという厳戒態勢だったが、ペテロは神さまからの御使いによって救出される。
12~19節
牢屋から解放されたペテロは、多くの人が集まり祈っていたマルコの母マリアの家に行き、事の次第を説明した後、危険なのですぐにほかの場所へ行った。
ヘロデ王は番兵たちを取り調べ(番兵たちの陰謀がなければペテロの脱出はあり得ないと考えた)たが、納得のいく回答が得られなかったため処刑してしまう。
20~23節
当時ヘロデ王は、ツロとシドンへの輸出を禁止していた。ツロとシドンの人々はヘロデとの確執が長期化することを恐れ和解の策を取ろうと賄賂を贈るなどしてヘロデ王に取り入る(ヘロデ王はローマから絶大な権限を認められていた)。
和解を記念して(?)の式典の時、ヘロデ王は「神に栄光を帰さなかったから」虫に食われて息絶えた(25センチ以上の寄生虫によって腸壁が食いちぎられる)(54歳で死去)。
3つの点を考えてみたいと思います。
1.なぜヤコブは死ななければならなかったのか
ヤコブはまだ若くこれからの働きが期待されたはずなのに、なぜ神さまはこのような理不尽な迫害を許されたのだろうか・・?聖書に記述がないので答えを明言することは出来ません。しかし、聖書全般を通して考えられることはあると思います。
それは、神さまは、ヘロデ・アグリッパ王のことも愛しておられるということです。神さまは命をお与えになったすべての人を分け隔てなく愛しておられます。ヘロデ・アグリッパ王の自己保身からの理不尽な迫害、ヤコブの斬首刑は決して赦されることではありません。しかし、神さまはヘロデ・アグリッパ王の生い立ち故に彼が負っていた苦しみも十分理解されていたはずです。保守的ユダヤ人に取り入ろうとしてなんとか自分の地位を守りたいとする彼に対して神さまは、何とかしてその残虐な行為を止めてほしいと様々な働きかけをしたのではないかと思います。剛腕でその行為を止めることもできたはずです。
聖書には、神さまがマックス・パワーで介入されない事例がたくさん記されています。聖書は神さまが力をどのように発揮されるかを記述している書ではなく、むしろ、神さまがご自分のかたちに似せて造られた私たち人間を相手に、その御力をどう制限されたかが書かれている書であると言えるからです。神さまが造られた世界、人間が関わる世界に対して、神さまは力ではなく愛によってという原則でしか働きかけないということです。神さまにとって愛は、ご自分の力を制限することでもあるのです。強い側が力を行使している限り、そこに愛の関係は生まれません。神さまは、愛のゆえにご自分を制限されることがあるのです。本当は力を行使することによって私たちを助けたいと願いつつ、愛のゆえに力を制限される、こんな股裂き状態の中におられるのです。
このような神さまであるという理解の中、ヤコブの死を受け止められればと思います。
2.なぜペテロは助け出されたのか
神さまの股裂き状態の思いの中、ヘロデ・アグリッパ王の暴虐無人の行為は許され、ヤコブは殉教しました。しかし、これ以上の暴虐無人の行為をさせる訳にはいかなかったということではないでしょうか・・。ヤコブの親族関係者の想像を超える悲しみをご覧になった神さま、エルサレム教会の信徒の悲しみをご覧になった神さま・・。
3.ヘロデ・アグリッパ王の突然死
神さまは、ヤコブの斬首刑、番兵の処刑(19節)と、人の尊厳を踏みにじる行為を止めようとしないヘロデ・アグリッパ王に、その生い立ち環境を考慮しながらも、その暴虐無人の行為を止めさせざるを得なかったのではないでしょうか・・。人の尊厳をまったく顧みない行為に対して、股裂き状態の思いの中で決断される神さまがおられるのだと思います。