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「慰めに満ちたイエスさまが共にいる」

  • 佐々木 優
  • 2024年8月18日
  • 読了時間: 7分

2024年8月18日(日)

テキスト:使徒の働き7:54~60(新約聖書247頁)


 ステパノの最高議会での弁論の箇所を見て来ましたが、本日は大変に痛ましい記事ですが、ステパノが殉教する記事です。

 ヘレニスト・ユダヤ教徒(外国育ちのギリシャ語を使うユダヤ教徒)たちがステパノを訴え出た理由は、エルサレム神殿とそれにまつわる儀式律法の廃棄を教えたということで、神とモーセを冒涜した罪だということでしたが、ステパノの口調が51節からかなり激しくなりました。サンヘドリンの議員はじめ訴え出たヘレニスト・ユダヤ教徒をかなり怒らせていったはじまりは52節のことばでしょう。

7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。 

『ティンデル聖書注解 使徒の働き』にはこう記されています。ここでの「正しい」は「無実の」という意味になるのだろうが、この語句がメシヤとしてのイエスを指すことについて疑問の余地はない。いにしえのユダヤ人が預言者たちを殺すことによって神に対する敵意を表したとすれば、ステパノの時代のユダヤ人は、最後の一線を踏み越えて、メシヤであるイエスをローマ人に引き渡してしまい、そうすることで自らを殺人者としてしまった。(『ティンデル聖書注解 使徒の働き』いのちのことば社、174頁、参照・引用)

7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。

 ステパノの長い弁明に憤りを呈していた議会ですが、怒りが沸点に達し、ステパノを殺すという行動に向かわせました。

7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、

7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。

 ステパノがこのように述べたのは、イエスさまが十字架にかけられていく裁判の時、この時と同じ議員たちにイエスさまが語ったことばを聞いていたからだと思われます。

 ルカ22:67~69

「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょう。わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。だが今から後、人の子は力ある神の右の座に着きます。」

 ステパノが述べた「人の子」(イエスさまのことだとすぐに分かった)が「神の右に立っておられるのが見えます」は神を冒涜しているとして、議会にステパノの処刑を決定づけたようです。

7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。

7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。

7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」

7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。

 榊原康夫師はこう述べておられます。「こういう描写を読むと、いかにもステパノ殺害は、いきり立った傍聴者たちのリンチだったように印象を受けますが、決してそうではありません。それは、人々がステパノをわざわざ『町の外に追い』立て、『証人たちは、自分の着物を』脱いだりして、規則どおりの死刑執行をしたことや(58節)、その日起こった大迫害の急先鋒サウロが、大祭司の添え文を持っていたことから(9:1)、明かです。どうみても、一連の動きは、議長たる大祭司と議会全体の正式に認可したもの、公式の死刑執行だった、と言わねばなりません。」(『使徒の働き』榊原康夫著、いのちのことば社、244-245頁)

 このステパノの裁判の時、ガマリエル(パウロの恩師であり、ユダヤ教学者の中で特に偉大な先生「ラバン」の最初の人)はどこにいたのでしょうか・・

 使徒の働き5:33~42で使徒たちが同じくサンヘドリンの議員の前に立たされ殺害されそうになった時、その時は、ガマリエルが使徒たちの取り扱いに慎重な態度を勧め(5:35)、議会もその勧めを受け入れました。しかし、ガマリエルは中立的にどちらからも悪く思われないそつのなさを持ち、ものうい灰色の傍観主義だと榊原康夫師は述べておられます(『使徒の働き』榊原康夫著、いのちのことば社、171頁)。

 ガマリエルは使徒たちの裁判の時には使徒たちが生粋のユダヤ人であるからユダヤ人のご機嫌を取り、ヘレニストクリスチャンのステパノの時には周囲の感情の雰囲気を読み取り、うまく立ち回ったのではないでしょうか・・

 神さまの恵みの世界の原則は「あなたが決めていい」という自由意志(神さまがお与えになった人間のすばらしい機能)の尊重にあります。神さまは私たちと対等に語り合おうとしておられます(それはイエスさまが人間の姿をとってこの地上に来て下さったことにも表されている)。相互尊重でなければ真の意味での愛し合う関係は成立しないからであり、故に、私たちは神さまに「NO」という権利をも尊重されています。ですので、このステパノの事件でも、神さまは、サンヘドリンの議員はじめ訴え出たヘレニスト・ユダヤ教徒にも、そして、当然ステパノにも「あなたが決めていい」と言っておられたのではないでしょうか・・。そして、議会もそのようにし、ステパノも思いのたけを述べたのだと思いますし、あるいは、処刑されることが分かっていながらも自分の思いのままに突き進んだのかもしれません。神さまは、人が正直であることを喜ばれる方です。そして、人が正直であろうとするために不条理な状況に置かれた時こそ、神さまは何よりも寄り添っておられるのです。

 この時の議会も正直であったと言えばある意味正直だったのかもしれませんが、河村従彦師は「自分の気持ちを表現しないまま抑圧している状態が続くと、抑圧していない人が赦せなくなります。・・パリサイ人・律法学者の宗教実践は、心理的には抑圧する方向に向きます。その葛藤は、他者への攻撃性として表現されます。そのときにターゲットになるのは、自由に生きている人、自分を縛らないでいられる人、ロジック型よりは芸術型の人、気持ちを素直に表現できる人、そして、恵みに生かされている人です。」と述べておられます(「恵みフォーラム」2024年8月11日)。この時の議会の攻撃性はそのような現れだったかもしれません。

 河村従彦師は著書の中でこう述べておられます。

 「聖書には、神さまがマックス・パワーで介入されない事例がたくさん記されています。もちろん、私たち神の民は、神さまのマックス・パワーを期待して生きるべきです。(『ヨブ記に見る 試練の意味』河村従彦著、いのちのことば社、83頁)」「聖書は神さまが力をどのように発揮されるかを記述している書ではない、ということです。聖書はむしろ、神さまがご自分のかたちに似せて造られた私たち人間を相手に、その御力をどう制限されたかが書かれている書であると言えます。(『ヨブ記に見る 試練の意味』河村従彦著、いのちのことば社、87頁)」「神さまが造られた世界、人間が関わる世界は、力ではなく愛によってという原則しか機能しないということです。愛は、自分の力を制限することです。・・強い側が力を行使している限り、そこに愛の関係は生まれません。・・神さまは、愛のゆえにご自分を制限されました。・・本当は力を行使することによって私たちを助けたいと願いつつ、愛のゆえに力を制限される、こんな股裂き状態の中におられるのです。これが聖書が伝えようとしたメッセージではないかと思います。(『ヨブ記に見る 試練の意味』河村従彦著、いのちのことば社、90頁)」「神さまは、私たちがイメージするような形では、マックス・パワーで介入してくださらなかったとしても、私たちのために必死で働いておられる方です。力の介入が本当の解決をもたらさないということと、私たちを愛し抜かれ、何とか守らなければならないということ、この二つの思いの間で、引き裂かれるようなジレンマに絶叫しておられるのです。・・・神さまは苦しみの中でこそ私たちとともにおられる方です。これが「インマヌエル」の意味です。決して何もしておられないのではありません。懸命に苦しみの中にいる私たちとともに歩み、ともに重荷を担おうとされます。私たちの祈りに耳を傾け、何とか祈りに答えようとされます。(『ヨブ記に見る 試練の意味』河村従彦著、いのちのことば社、128頁)」

 ステパノの悲惨な殉教の中にも「インマヌエル」のイエスさまは共におられ、そして、ステパノに「正直に、恵みに生きようとしたために、あまりにも辛い経験をさせてしまいましたね」と天国に迎え入れて下さったのではないでしょうか・・。


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