「恵みに生きる者への攻撃」
- 佐々木 優
- 2024年6月30日
- 読了時間: 3分
2024年6月30日(日)
テキスト:使徒の働き6:8~15(新約聖書243頁)
8節「さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。」
「大いなる不思議としるし」これはイエスさまが行っていたことであり(使徒2:22)、使徒たちにも継承されていた(使徒2:43)聖霊の神さまによる御業である。この御業をステパノも行っていたということ。それは聖霊による「恵みと力に満ち」ていたからであろう。
9節「ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。」
「リベルテン」とは、「自由にされた人、解放奴隷」(かつてはローマの奴隷であったが、今は自由民となったユダヤ人たち)のことであり、エルサレムには、ローマから帰ったリベルテンだけでなく、「クレネ人」「アレクサンドリア人」「キリキアやアジアから来た人々」というヘレニスト・クリスチャン(外国育ちのギリシャ語を使うユダヤ人)たちが、彼らだけの「会堂」(シナゴーグ:紀元1世紀のイスラエルの地には480ものシナゴーグがあったとされている。シナゴーグはその地におけるユダヤ人の生活の中心であり、コミュニティセンター、礼拝、祈り、説教の場、冠婚葬祭の場、時事問題を論じる場、各種学校の場であった。)を持っていた。
このようなヘレニスト・クリスチャンがステパノと議論をしたが、議論に勝てないと見るや、偽証人をそそのかして偽証を言わせた(11節)。更には、「民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に」にまで訴え出た(12節)。
律法主義者の特徴の一つはその攻撃性にある。イエスさまの恵みに生きようとする者に律法主義者は攻撃を加えるのである。
彼らが訴えた理由は2つ
①<ステパノが「神を冒瀆することばを語っている」「この聖なる所に逆らうことばを語っている」ということ>11節、13節
おそらくステパノは、かつてイエスさまが語られたこと、「わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、人の手で造られたのではない別の神殿を三日で建てる」(マルコ14:58)や、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」(ヨハネ2:19)などのことばを語っていたのであろう。そしてこのことばは、イエスさまが三日目に復活することを述べたことばであり、まことの神殿は、復活の主のからだであって、手で造った宮には恒久的意味はないのだということ。新しい時代の礼拝は、神殿での動物の犠牲等による儀式的な礼拝の代わりに、クリスチャンによる霊的な礼拝がなされるようになることを意味していた。
イエスさまの死人からのよみがえりのメッセージは、死者の復活を否定するサドカイ派を激怒させた。
②<モーセを冒瀆することばを語っている」「律法に逆らうことばを語っている」ということ>11節、13節
偽証人は、ステパノが、ナザレ人イエスが、モーセが私たちに伝えた慣習を変えると言っていたということを言い広めていると述べる(14節)。「慣習」とは、律法学者たちが律法に施した解釈である口伝律法のことであろう。当時はこの口伝律法も書かれたモーセの律法に由来すると考えられていた。
律法は無効になったというメッセージはパリサイ派を激怒させたが、実際にはイエスさまの十字架により律法は無効になったのである。
15節「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」
議員たちはステパノを見つめ、どういう弁明をするのかと待っていたが、ステパノの顔は「御使いの顔のように見えた」とある。
かつてモーセがシナイ山で神さまと相対した時は、「顔の肌が輝きを放って」いたとある(出エジプト34:29)。
ステパノの顔が「御使いの顔のように見えた」これは、ステパノの生命の危機、困難に際して、イエスさまが物凄くそばに居て下さっていることを物語っているのであろう。