「心と思いを一つにして」
- 佐々木 優
- 2023年10月7日
- 読了時間: 3分
2023年10月8日(日)
テキスト:使徒の働き4:32~37(新約聖書240頁)
<4章31節:彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。>
4:32~37は、大胆な宣教活動がどのような実を結んだかの報告である。
<32節:さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。>
この時すでに、2万人前後のクリスチャンがエルサレムとその近郊にいたと考えられるが、自分の財産は自分のものという利己心がなく、「私の物はあなたの物、私の物はみんなの物」という態度で生活をしており、自分の財産を進んで共同体全体で用いるための物と考えていた。そこには、イエス・キリストのように生きたいという「心と思いを一つにして」があったのであろう。すなわち、神と隣人を愛するという思いの表れがこのような麗しい共同体の姿となっていたのであると考えられるが、そのことのみではなく、そこには、イエス・キリストが再び来られるという終末の到来が間近だと信じた共同体に実現した財産の共有ということもあったのであろう。
<33節:使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。>
<34節、35節:彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。>
教会員それぞれが、生活に必要でない資産を、教会の必要に応じてその都度売り払って、教会に献金し、その時その時の用に教会の管理者が支出していた故に、富める者も貧しい者もいたが、貧しい者でも生活に事欠くことはなかった。
<36節、37節:キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。>
ここでバルナバの名が出されているのは、後にパウロを教会に迎え入れさせ、ペテロ中心の教会の歴史からパウロの世界宣教へ橋渡しをする重要な仲介者として登場するので、ここにあらかじめ紹介しておくという意図があったのであろう。彼は、「慰めの子」の別名を持ち、人と人との関係を和らげ、結び合わせることに、抜群の賜物を示した。(使徒9:27、11:25~26)彼は、パウロとともに最初の伝道旅行をし、ユダヤ主義異端と論争もし、パウロとでも激論を戦わせるほど、激しい気性の説教家でもあった。
バルナバが持っていた畑を売ったその代金は、相当な額であったと考えられるが、その莫大な献金が当時の教会には必要であると判断して献げたのであろう。当時のエルサレム教会には、それほどの貧困者が救済の手を待ちわびており、人々の切り売りぐらいでは到底間に合わぬほどの需要の声があちこちに満ちていたと考えられる。
このような初代教会の人々を動かしていたものは、私たちもイエス・キリストのように神と隣人を愛して生きるという生き方をしたいという思いであったのだろう。そこに「心と思いを一つにして」いる教会の姿が描かれている。