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「初代教会に立ち返って」

  • 佐々木 優
  • 2023年7月2日
  • 読了時間: 3分

2023年7月2日(日)

テキスト:使徒の働き2:41~42(新約聖書236頁)

 「彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」

 イエス・キリストが復活をして、わずか50日後に、エルサレムに最初のキリスト教会が誕生した。聖霊降臨により、ペテロが群集に対して、イエス・キリストの贖いの十字架・復活を信じることによる罪からの救いを語り、そのことばに心を刺された人々約三千人が、悔い改め、洗礼を受けて、教会の会員として加えられた。これが今日ある教会の形の出発点となった。そして、この時以来、教会は全世界に拡大していった。「教会」の本来の意味は、「呼び出された人々」「召集された人々」である。教会はイエス・キリストに呼び出された人々、召集された人々の群れである(会堂のことではない)。

 教会が誕生した時、最初のクリスチャンたちは、教会に集い、4つのことを守っていたことが分かる。

 1つ目は、「使徒たちの教えを守っていた」ということである。「使徒たちの教え」とは、使徒たちが語るイエス様についての伝承のことである。教会が誕生した時、最初のクリスチャンたちはその伝承を学び、そのことばに従って歩んだのである。

 2つ目は、「交わりを持っていた」ということである。このことばは、「分かち合うこと」を意味し、44~45節に記されている持ち物の共有のことを意味する言葉であるだけではなく、むしろここでは食事を共にすることや、イエス・キリストを信じたことによる恵みの体験を分かち合うことを意味していると考えられる。

 3つ目は、「パンを裂」くことであった。これはパウロが主の晩餐と呼んでいた行為をルカの言葉で表現したものであった。これはクリスチャンにとっては、イエス様が最後の晩餐の時に行った行為によって、特別な意味を持つようになっていた。これが、今日の教会でも続けられている、聖餐式を守るということに繋がっている。それは、イエス・キリストが十字架につく直前に弟子たちに行うように命じた、パンとぶどう酒(あるいはぶどう液)を用いてイエス・キリストの十字架による救いを覚えることである。罪深い私が、イエス・キリストの生きたからだの器官とされている、イエス・キリストの命が私の内にも通っていることを信じ、感謝するのである。

 4つ目は、共に「祈り」をしていたということである。それは、彼らにとってイエス様の約束を待つ手段であったが、初代教会のクリスチャンたちは、「主の祈り」を中心にして祈っていたのであろう。初代教会の人々にとっては、祈ることが生きることだったのである。聖書のみことばは、私たちが神様から聞く手段であるのに対して、祈りは私たちが神様に語る手段である。聖書から神様の御声を聞き、祈りによって神様に語ることによって、私たちは神様との人格的な交わりの中を生きるのである。


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