「再びイエス様に会えるという希望の大きさ」
- 佐々木 優
- 2023年5月20日
- 読了時間: 3分
2023年5月21日(日)
テキスト:使徒の働き1:6~14 (新約聖書232頁)
イエス様はオリーブ山という山から昇天された。弟子たちは、イエス様が上って行かれる時、天を見つめていた。最愛なる師であるイエス様の十字架刑というあまりにもショックな出来事、そして、人間の理性を越えている復活等々、弟子たちは目の前に起こる衝撃的な出来事をただ目の当たりにし、それらの出来事にどのような意味があるのかも分からずに過ごしてきたであろう。そして、「聖霊によるバプテスマを授けられる」(使徒1:5)という意味も理解できていないままで、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(8節)というイエス様のことばを聞いたが、このことばの意味も理解はできていなかったであろう。しかし、イエス様は8節のことばを語ってから、「使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。」(9~10節)復活の後、師であるイエス様が側に居てくださった時には、弟子たちはどれ程心強く、平安でいられたであろうか。しかし、エルサレムは依然不穏に満ち、次は自分たちが捕縛されるのではないかという恐れはあったであろうことを考えると、イエス様が昇天され、去って行ってしまった時に襲ってきたであろう、寂しさ、不安は計り知れない。弟子たちは、ただ愕然として天を見つめるより他はなかったのである。すると、天使が現れ、弟子たちに言われた。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」(11節)天使は弟子たちに、イエス様と再び会えるのに、「どうして天を見上げて立っているのですか」と問いかけたのである。弟子たちは、「またおいでになります」のことばに、イエス様がすぐに戻って来られると思ったかもしれない。いずれにしても、寂しさ、不安に包まれた弟子たちに生きる希望を与えたのは、最愛なる師であるイエス様に再びお会いできるという約束だったのである。
その希望は、ものすごいものだったのであろう。それは、イエス様が傍にいない、聖霊もまだ与えられていないにもかかわらず、弟子たちは、自分たちに危険がおよぶ可能性のある場所、エルサレムに戻り、「いつも心を一つにして祈っていた」(14節)ことからも分かる。一連の出来事の理解がおぼつかない弟子が祈ったこととは、おそらく、「もう間もなくイエス様にお会いできることを感謝します。その先は、ずっとイエス様が共にいてくださいますように」というような祈りだったのではないか。
再びイエス様に会えるという約束は私たちにおいても実現していないが、しかし、イエス様と同じ本質を持った、もうひとりの助け主(ヨハネ14:16~17)が私たちの内に住んでおられるということはすごいことである。