「体験させられたことを語るペテロ」
- 佐々木 優
- 2023年9月16日
- 読了時間: 5分
2023年9月17日(日)
テキスト:使徒の働き4:1~12(新約聖書238頁)
<1節: ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。>
「宮の守衛長」とは、祭司の中から選ばれて任命され、神殿の治安を守り、秩序を維持する、神殿警察の長のような役割を果たした。神殿域では、大祭司に次ぐ権威を有していた。「サドカイ人たち」祭司たちも宮の守衛長もサドカイ派に属していたので、ここでの「サドカイ人たち」とは、それ以外のサドカイ派の人たちのこと。サドカイ派は、祭司たちと貴族階級の者たちから成っていた。大祭司はその一門から選ばれるのが普通であり、政治的には親ローマ的で、ローマ軍とも妥協してうまくやるという現実主義的な考えを持っていた。宗教的には保守派を代表し、モーセ五書しか神のことばとして認めず、パリサイ派の口伝律法に強く反発し、自分たちの理性を越えたものを受け付けようとせず(天使や悪霊の存在を否定、魂の永遠性を否定、肉体の復活も否定)新しい立場や運動には常に反対して自分たちの立場を守ろうとしていた。
<2節:彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち>
彼らの神学と対立する復活のことをペテロたち無学な者たちが神殿域で教えていたことに苛立った。
<3節:二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。>
すでに夕方であり、ユダヤの法では、日没後の裁判は禁止されていたので、翌日まで神殿内の牢獄に留置された。
<4節:しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。>
彼らは目の前でペテロたちが捕らえられ連行されて行くのを見ていたはずである。しかし、男だけで五千人ほどの人々がイエスこそ神から遣わされたメシヤであると信じたのである。
<5節:翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。>
夜のうちに連絡がなされ、その翌朝にはサンヘドリンと呼ばれる議会が招集された。サンヘドリンはイスラエルの最高裁であり国会。紀元1世紀のサンヘドリンはローマ帝国により大きな権威を認められていた(死刑宣告は認められていなかった)。「民の指導者たち」とは、24人の祭司長たちのこと。「長老たち」とは、パリサイ派の重鎮たちのこと。「律法学者たち」とは、大部分がパリサイ派に属していた。パリサイ派に属する者たちは死人の復活を信じ、サドカイ人たちと対立する立場をとっていた。
<6節:大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。>
大祭司がイスラエルで最も大きな権威を有していた。この年の大祭司はカヤパであったが、黒幕はアンナスであった(アンナスは、前6年~紀元15年まで21年間大祭司であった。職を離れてからも約50年間にわたって権威を振るった)。
<7節:彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。>
何の力によって(奇蹟力の正体?当時の迷信邪教の中にも、様々な名を用いて奇蹟を行う者たちがいた)、足の不自由な人の治癒をしたのかと尋問。
<8節:そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。>
ルカ12:11、12にはこのように記されている。「また、人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」この時のペテロはまさにイエス様の約束の成就であった。
<8節後半~10節:「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。>
あなたがたが十字架につけて殺したイエス・キリストを神はよみがえらせた。足の不自由な人の治癒の奇蹟は、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることである。
<11節:『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。>
これはメシヤ預言としてよく知られている詩篇118:22のことばである。それは、神殿再建の工事中に、「家を建てる者たちに捨てられた石」が、神殿完成の時には、二つの壁が合わさる隅の「要の石」となったという、神の不思議な摂理のわざをたたえた歌である。ペテロは、「あなたがた家を建てる者たち」とは、ユダヤ教の指導者たちのことだと言っている。そして、彼らが捨てた石とは、イエス・キリストであり、神はイエス・キリストを救いの石とされたのだと。
<12節:この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」>
数週間前にイエス様を三度否認したペテロは、ユダヤの最高議会の真ん中に立たされて大胆に語った。これは、「無学な普通の人」(ガリラヤの一漁師)が語ることばであろうか(4:13)と議員たちを驚嘆させた。それは、聖霊に満たされて(8節)ペテロが語った故である。ペテロは救いに至る唯一の道はイエス・キリストであると聖霊に満たされて語った。
サンヘドリンの人たちは、神のことばを規律として理解し、規律として語っていたのであろうと思う。たとえ自分が神のことばの真実を体験していなくても・・。しかし、ペテロは神から体験させられたこと(イエス・キリストの復活の目撃者)を語っていた。