「主の御旨が分からない中にあっても」
- 佐々木 優
- 2017年5月27日
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更新日:2023年11月14日
2017年5月28日(日)
テキスト:使徒の働き1:6~14 (新約聖書227頁)
〇イエス様はオリーブ山という山から昇天された。弟子たちは、イエス様が上って行かれるとき、天を見つめていた。最愛なる師であるイエス様の十字架刑というショック、そして、人間の理性を越えている復活等々、弟子たちは目の前に起こる衝撃的な出来事をただ目の当たりにし、それらの出来事にどのような意味があるのかも分からずに過ごしてきたであろう。そして、「聖霊のバプテスマを受ける」(使徒1:5)という意味も理解できていないままで、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(8節)ということばを聞いたのである。
「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。」(9~10節)
そして、この昇天の時も、ただ愕然として天を見つめるより他はなかったのである。天使は弟子たちに言われた。
「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(11節)
このようにしてイエス様は再臨されるのであると教えたのである。
〇最愛なる師であるイエス様の捕縛、十字架、復活、一連の衝撃的な出来事の意味の理解、整理もできないままの弟子たちに希望を与えたことばが、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」だったのであろう。また、最愛なる師であるイエス様にお会いできるという約束が、弟子たちに生きる希望を与え、エルサレム(自分たちに危険がおよぶ可能性のある場所)に戻り、「心を合わせ、祈りに専念」(14節)していくことにつながるのである。一連の出来事の理解がおぼつかない弟子たちにとって祈れることとは、おそらく、「もう間もなくイエス様にお会いできることを感謝します。その先は、ずっとイエス様が共にいてくださいますように」というような祈りだったのではないか。それでも神様はご自身の計画通りに、五旬節の日に聖霊降臨の御業をなさるのである。
〇私たちも、この時の弟子たちと同じく、神様が今、何をなさっておられるのか、分からないことがほとんどではないだろうか。しかし、そのような中にあっても神様は、生きる希望を与えることばを下さり、前に進ませて下さるのである。