「イエスさまを信じる共通の信仰だけでの一致」
- 佐々木 優
- 2024年9月8日
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2024年9月8日(日)
テキスト:使徒の働き8:4~5(新約聖書248頁)
ステパノの殉教によって、結果としては、教会は拡散し、福音はユダヤ人から異邦人(ユダヤ人にとっての外国人)へと拡大していくこととなりました。
キリスト者たちは彼らの信仰を保ちつつ、同時に身を守るために、迫害の手の及びにくい場所、「ユダヤとサマリア」の田舎へと避難した。しかも、「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」(4節)ということです。福音を伝えることがごくごく自然な感じのようにも思えますが、おそらく、キリスト者たちが行き着いた場所々で、何故に家を出て来たのかと尋ねられたことに答える形で自然とイエス・キリストのこと、そして、ステパノがイエス・キリストが語っていたことを話し、殉教し、その後に迫害が起こっていることを話したのだと思います。
5節「ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」
ピリポがサマリアの町に下って行くというのは大変なことだった。サマリア人という人は、サマリア市にいたイスラエル人と外国からの植民との混血人種で、旧約聖書の始めの五冊だけを経典と信じ、エルサレム神殿に対抗してゲリジム山に神殿と祭司を立て、彼らなりに、第二のモーセのような救世主を待望していました。サマリア人が混血人種であるということもあり、ユダヤ人とサマリア人との間には様々な争いがあり、この当時もユダヤ人はサマリア人のことを心底憎んでいたからです。そのサマリアの町に入って行き、ピリポは人々にキリストを宣べ伝えたのです。あのイエス・キリストこそ待望のメシヤなのですと・・。
当時、ユダヤ人とサマリア人は敵対関係にありましたが、かつてイエスさまはサマリアの女性にご自分がメシヤであることを伝え、女性は受け入れました。
ヨハネ4:25~26(女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」)
イエスさまは良きサマリア人のたとえを話され、サマリア人はユダヤ人にとって隣人だと教えられた(ルカ10:33~37)。
ルカ17:11~19には、イエスさまがツァラアト(皮膚にカビのようなものが出る病気)に冒された人10人を癒された時、感謝の気持ちを伝えにイエスさまの所に戻って来たのはサマリア人1人だけだったという記事がある。
使徒の働き1:8には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあり、イエスさまがこの後クリスチャンがサマリアにイエスさまのことを伝えに行くと予告していました。
使徒の働き15:1~35には、エルサレム会議の様子が記されています。ある人々がアンティオキアの教会にやって来て、イエス・キリストを神の子メシヤと信じたとしても、救われるためには割礼(ユダヤ人が神の選民であることを示すしるしとして、アブラハムの時代から固守してきた習慣)を受けるべきだと教え始めていました。それに対してパウロとバルナバは、人が救われるのは信仰のみによるので、その習慣を持たない異邦人に強要する必要はないと主張し、激しい対立と論争があり、そのためこの問題について話し合うためにエルサレム会議が開かれました。会議においても激しい論争がありましたが、十二使徒の筆頭ペテロは自分の経験を通して、「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。そうであるなら、なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。」(使徒15:7~11)と発言し、パウロとバルナバも、自分たちの伝道旅行において実現した異邦人の救いを証しし、初代教会で尊敬されていたイエスさまの弟のヤコブは、アモス書などから異邦人の救いを預言している箇所を引用し、そして、ユダヤ人が嫌っていた四つの問題を避けるなら、割礼を受けなくても良いことにしましょうと妥協案を示し、これが皆の了承するところとなったのです。
ルカの福音書と使徒の働きの著者はルカです。ルカは、ユダヤ人とサマリア人の間にあった敵意もイエスさまをメシヤ(罪の様々な問題からの救い主)と信じる共通の信仰によって乗り越えていくことができるということを示そうとしたのだと思います。