「イエスさまを二度と裏切りたくはない」
- 佐々木 優
- 2024年6月16日
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2024年6月16日(日)
テキスト:使徒の働き5:33~42(新約聖書242頁)
33節「これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。」
ユダヤの最高権威者たちは、使徒たちが、あなたがたがイエス・キリストをのろいの死につけた。しかし、神さまの判定は当局者の判決とは違っており、神さまは同じイエス・キリストを「よみがえらせ」「ご自分の右に上げられました」という二重のほまれをもって祝福されたのだということば(5:30、31)を聞いて、怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えました。
使徒迫害の首謀者は、「大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たち」(5:17)であり、死人の復活などありえないという教義に立っている者たちでした。彼らはその教義を否定されたこと、そして、復活したイエス・キリストをのろったのは神への反逆だと言われたことに怒り狂ったのです。怒るのは人間の機能であり、人は尊厳を傷つけられると怒るように造られているので、神さまはこの時のユダヤの最高権威者たちの怒りも受けとめておられたと思います。しかし、殺そうとする計画にはストップをかけるため、神さまはガマリエルという議員を動かされたのだと思います。
ガマリエルは、「民全体に尊敬されている律法の教師で・・パリサイ人」(34節)でした。職は律法学者、当時のユダヤ教学界で最も人気のあったヒルレル学派の開祖ラビ・ヒルレルの孫に当たる人でした。普通のユダヤ教学者を「ラビ」というのに対して、特に偉大な先生を「ラバン」と呼ぶようになるそうです。ユダヤ教歴史上に数人のラバンが出たうちの最初の人が、このガマリエルでした。この人は、パウロの恩師でした(使徒22:3)。
このガマリエルが使徒たちの取り扱いに慎重な態度を勧めた(35節)理由は、二つの歴史的事実でした。
第一は、「先ごろテウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし彼は殺され、従った者たちはみな散らされて、跡形もなくなりました。」(36節)という事実。
第二は、「彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人のユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが、彼も滅び、彼に従った者たちもみな散らされてしまいました。」(37節)という事件でした。
ガマリエルの提案は、このような事実があるのだから、「この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。
しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」(38、39節)というものでした。この提案に議員たちは従いました。
運動の創始者のたどる運命という例をガマリエルはあげましたが、イエス・キリストは滅んでいないと使徒たちは述べていました。しかし、ガマリエルはそれを聞き流してイエス・キリストを「テウダ」と「ガリラヤ人のユダ」と同一視して語っていました。ガマリエルもイエス・キリストの復活を否定しての発言だったのです。にもかかわらず、ガマリエルの提案は指示されました。そして皮肉にも、この後の使徒たちの宣教拡大は、「人間から出たもの」は自滅し、「神から出たものなら」滅ぼすことはできないというガマリエルの提案を証明することになったのです。
しかし、議員たちはガマリエルの提案を心底、支持したのではなかったのでしょう。故に、「使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した」(40節)のです。
「むち打ち」の刑は、「40回より1回少ないむち打ち」というユダヤ教の刑罰であり、ユダヤ教の律法の違反に対して、権威者たちが課す権限を有していました。これは楽な刑罰ではなく、例外的では死亡する人もいました。
しかし、この懲罰さえも使徒たちを怯ませはしませんでした。
41~42節「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」
なぜ、使徒たちは不条理な迫害を受けても福音を語ることをやめなかったのだろうか・・もちろん、聖霊の力付けがあったからと言えると思いますが、それだけでなく、イエスさまの語られることばの真実さを体感したからではないでしょうか・・。ヨハネ15:18~21「世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します。彼らがわたしのことばを守ったのであれば、あなたがたのことばも守ります。しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえにあなたがたに対して行います。わたしを遣わされた方を知らないからです。」
そして、一度はイエスさまを裏切った弟子たちでしたが、その自分たちを赦し、変わらずに愛してくれた・・その経験が、もう二度と愛するイエスさまを裏切ることはしたくないという強い思いがあったからではないでしょうか・・。
本日の聖書箇所にも、神さまの不思議な助け、みことばの真実、イエスさまの深い愛に動かされた熱い生き方が記されているのです。