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「イエスさまが準備し義の道に導かれる」

  • 佐々木 優
  • 2024年11月24日
  • 読了時間: 3分

2024年11月24日(日)

テキスト:使徒の働き9:26~30(新約聖書251頁)


 サウロはイエスさまを救い主として信じる回心後、ダマスコ→アラビア→ダマスコと移動し(その間約3年間、ガラテヤ1:18参照)、エルサレムに行く。エルサレム教会へ行く目的は、かつて迫害をしたことへの謝罪や、12弟子の筆頭ペテロに会い、自分の知らない生前のイエスさまについて、イエスさまが語った教えや奇跡など、なさった御業について教えてもらいたかったというようなことがあったであろう。

<9:26 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。>

 ガラテヤ1:18、19を見ると、この時に使徒の中で会ったのは、ペテロとイエスさまの弟ヤコブ(ペテロの後にエルサレム教会の指導者となり、新約聖書のヤコブの手紙を書く)だけで、滞在期間も15日だけである。エルサレム教会の信徒たちは、サウロをスパイかもしれない罠かもしれないと思ったかもしれない。約3年前にサウロの行ったクリスチャン迫害の時の恐怖心は3年間の月日で簡単に拭えるものではなかったのであろう。

<9:27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。>

 しかし、その仲立ちをバルナバが行った。バルナバはサウロの回心、イエスさまから託された異邦人への宣教の召し、そして、今度は迫害が自分の身におよぶことも恐れずに大胆に救い主イエスさまを伝えた回心ぶりを説明した。

<9:28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。> バルナバの仲立ちによりサウロは使徒たちに迎えられ、エルサレム教会の働きにも参加し、救い主イエスさまのことを大胆に伝えた。

<9:29 また、ギリシア語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていたが、彼らはサウロを殺そうと狙っていた。>

 ここでもギリシア語を使うユダヤ人たちから命を狙われる。

<9:30 それを知った兄弟たちは、彼をカイサリアに連れて下り、タルソへ送り出した。>

 殺害計画を知ったエルサレム教会の信徒たちはサウロを故郷タルソに送った。

 本日の聖書箇所からもイエスさまが準備をして下さっていたということが分かるのではないか・・。

 サウロがエルサレム教会に行くまでの約3年間があったからこそ、かつてのクリスチャン迫害の急先鋒サウロがエルサレム教会に受け入れられていったと言えるのではないか・・。そのためにはバルナバが仲立ち・説明をできるような要素(サウロの回心、イエスさまから託された異邦人への宣教の召し、そして、今度は迫害が自分の身におよぶことも恐れずに大胆に救い主イエスさまを伝えた回心ぶり)が、その約3年間がどうしても必要だったのだろうと思われる。

 ダビデのことばで言えば、「御名のゆえに私を義の道に導かれます。」(詩篇23:3b)という神さまの導きがこのサウロの時にもなされていたのだろうと思える。神さまにあって義しい道とは、「神さまが私たちを束縛から自由にしてくださること」であり、「神さまが命の源である御方であることが明らかにされること」であると言える。ある程度の時間、遠回りに見えても、振り返ると、そのようなことを通して、神さまにあって義しい道に導かれたと・・神さまの御業に関わった人たちは納得したということである。

 本日の箇所で言えば、イエスさまが約3年間という期間の中でサウロがエルサレム教会に受け入れられていくための準備をして下さっていて、結果、神さまにあって義しい道に導かれたと言えるのではないか・・。


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