「イエスさまが建て上げておられる教会」
- 佐々木 優
- 2024年9月21日
- 読了時間: 4分
2024年9月22日(日)
テキスト:使徒の働き8:9~13(新約聖書248頁)
当時、ユダヤ人とサマリア人は敵対関係にあったので、サマリアの人たちがピリポの語るイエスさまのことに耳を傾けるのは簡単なことではなかったはずである。しかし、ピリポが行っていた汚れた霊につかれた多くの人の癒し、中風(脳出血後に起こる、からだの麻痺の病気)の人や足の不自由な人が数多く癒された奇跡を見たことによって、サマリアの人たちはピリポが語る福音に関心を抱くようになり、その町には、大きな喜びがあった。(8:5~8)
<8:9 ところで、以前からその町にはシモンという名の人がいた。彼は魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していた。>
シモンは、後世のキリスト教伝承に頻繁に登場する伝説的な人物である。それらの伝承は、多くのキリスト教異端がシモンを起源に起きたと述べている。取り分けグノーシス主義(知識を救済の手段とする多種多様な宗派の総称)の異端はシモンにさかのぼるとされている。シモンの魔術は、キリスト教宣教に伴う「しるし」とは異質であり、人を驚かせて人気をとり、自身を偉大な者と称して人々の栄誉を勝ち取っていた。後世の伝承では、シモンが神格化されていたと言われるが、史実的にも一定の根拠がある。一方キリスト教の宣教の本質は、しるしそれ自体ではなく「神の国とイエス・キリストの名」にあるのである。(『実用聖書注解』いのちのことば社、1,178頁、参考、引用)
サマリアの人たちは、小さい者から大きい者まで、すべての人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、『大能』と呼ばれる、神の力だ」と言っていたとある。(8:10)
<8:12 しかし人々は、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、男も女もバプテスマを受けた。>サマリアの人たちは、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えると、そのことばを信じて男も女もバプテスマを受けたとある。信じていくということに繋がっていったのは、ピリポが行っていた汚れた霊につかれた多くの人の癒し、中風の人や足の不自由な人が数多く癒された奇跡を見ていたからであろう。
ピリポが宣べ伝えた「神の国とイエス・キリストの名について」とは、どのような内容だったのであろうか・・。使徒1:6には、「そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。『主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。』」とあり、使徒1:11にはイエスさまが天に上げられて行った時に御使いが語ったことばが記されている。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
初代教会の信徒は、もう間もなくイエスさまが戻ってくると思っていたのだろうと言われる。なので、ピリポもイエスさまがもう間もなく戻ってこられて、この地上の王となり支配をするということも語っていたのだと思う。もちろん、イエス・キリストこそ、罪を赦し、罪から解放するメシヤであることも・・。
<8:13 シモン自身も信じてバプテスマを受けると、いつもピリポにつき従って、しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていた。>
シモンもバプテスマを受けたが、シモンの興味は宣教のことばではなく、「しるしと大いなる奇跡」にあった。シモンも信じたということであるが、その信仰告白はこの後の記事(使徒8:14~25)を見る限りどうだったのか?という面が多々あるが、初代教会のバプテスマを受けていく記事を見る限り、いわゆる今日のように洗礼準備会なるものを行っていたようには思えない。これが良いとか反省点とかではなく、これが初代教会の歩みであり、神さまが導いておられた歴史なのであろう。
私たちも、神さまにしか分からない神さまの歴史の中のキリストの教会で生かされているのである。