「このいのちのことば」
- 佐々木 優
- 2024年5月30日
- 読了時間: 4分
2024年6月2日(日)
テキスト:使徒の働き5:17~25(新約聖書241頁)
前回の箇所ですが、使徒の働き5章15節、16節
5:15 そしてついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。
5:16 また、エルサレム付近の町々から大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒やされた。
聖霊の神さまがペテロを通してなさった御業が記されていました。イエスさまがこの地上に生きておられた時代よりも、もっと近くに感じる存在として私たちと一緒に生きて下さっている時代になったのであるということを人々が受けとめられるようにと聖霊による奇跡がこの時、限定的に数多く起こされていたのだと思います。
しかし、このような御業に対して迫害が起こったことが記されています。
5:17 そこで、大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たちはみな、ねたみに燃えて立ち上がり、
5:18 使徒たちに手をかけて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。
迫害の動機は、キリスト教会への「ねたみ」でした。キリスト教会が民衆から受けていた尊敬(15章13節)とキリスト教会への入会者の増加(15章14~16節、すでに何千人となっていた)、そして死人のよみがえりを否定するサドカイ派がイエスさまのよみがえりを語る使徒たちの口を黙らせたいということでした。残念ながら、人間はいつでも自分の考え方と違う人に敵意を燃やすものではないでしょうか・・。自分の主張を絶対化し、自分の立場を守ろうとし、奪われるのではないかとの危機感から攻撃をするものではないでしょうか・・。そして、殺意にまで至ることもあります。些細な違いでも許せないのが人間の現実ではないでしょうか・・。全てをご存じで、全てに公平な正しい判断を下して下さる神さまがおられることを認めない限り、自己保身に固執する人間の行動は止まないのかもしれません。
17~25節には、逮捕された使徒たちが「主の使い」によって救い出されたことが記されています。この「主の使い」は神さまから遣わされた天使と考えてよいでしょう。天使は使徒たちに語りました。「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」(20節)「宮の中」はクリスチャンたちが集会を開いていた場所であり、大勢の敬虔な市民が神さまを礼拝に来る場所でした。大勢のクリスチャンとユダヤの民に「このいのちのことば」を語るために天使は使徒たちを脱獄させたのです。そして救い出された使徒たちは「夜明けごろ」から、クリスチャンも礼拝者もまだ大勢集まっていない頃から宮に行って語り始めたとあります(21節)。
聖霊の降臨は、イエスさまが今も生きて働いているということのしるしでした。イエスさまが働いているからこそ、大勢の病人が癒されるなどの奇蹟が起こされました。神さまは、見えなければ信じないという人間の弱さに寄り添うように歴史の時々に大きな御業を見せて下さいます。出エジプトの出来事であったり、モーセを通しての十戒であったり、神であるイエス・キリストの受肉であったり、イエス・キリストのよみがえりであったり、そしてイエス・キリストの御業を継承する聖霊の降臨であったり・・。
イエスさまは、大勢の人々が奇蹟に驚き、神さまの恵みを受け取るような心持になっているこの時に「このいのちのことば」を急速に伝えたかったのだと思います。「このいのちのことば」それは、神さまが罪人(愛していると語る神さまの愛を無視し続け、神さまとの大きな距離がある)を愛し、この地上にイエス・キリストを遣わし、人間の罪を清算し赦すために十字架にかかり、よみがえったこと、そしてそのことを信じる者に罪の赦しと永遠のいのち(神さまと共に生きるいのち)を与えること、信じる者の心の中に聖霊(イエスさまと理解してもよい)が住んで下さるというメッセージでした。このメッセージは当然、「大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者」にも受け取ってもらいたいメッセージでした。