「頼りにできるお方は見える世界にはいない」
- 佐々木 優
- 2月22日
- 読了時間: 2分
2025年2月23日(日)
6:9 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
山上の説教は二つの対比が基調になっています。
対比1
カテゴリーA、律法学者・パリサイ人の義
カテゴリーB、律法学者・パリサイ人の義にまさる義
対比2
カテゴリーA、人に見せる世界、人間の領域に属する見える世界
カテゴリーB、天におられる神さまの世界、イエスさまが見ておられる見えない世界
この二つを意識しながら「主の祈り」の意味を見て行きます。
山上の説教を聞いていた人たちは、不遇な中にあった人たち、不条理で苦しんでいた、病で苦しんでいた人たち、ローマ帝国の圧政下で、先祖代々の土地(ヘブル人にとってはいのちを表すものであった)を借金の担保として取り上げられ、その土地で小作人として働かされるという屈辱に耐えていた人たち、今も泣いている人たちでした。
そのような苦しみを知りぬいておられたイエスさまが人々に伝えようとされたことは、「本当に頼るべきわたしたちの父は、見える世界Aにはいないのですよ。見えない世界B、そこで温かく包み込む神さまが生きて働いておられるのです。その方こそ、わたしたちが頼りにできる方なのですよ。」ということでした。
究極的には私たちがするのではない・・神さまが私たちの生涯のすべての事柄を責任をもって引き受けていて下さるのです。