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「隣人を愛することにおいての自由」

  • 佐々木 優
  • 2017年8月12日
  • 読了時間: 3分

2017年8月13日(日)

テキスト:ヨハネの福音書12:1~8 (新約聖書203頁)

 

○イエス様は過越の祭りの六日前にベタニヤに来られ、マルタ、マリヤ、ラザロの三兄弟のところに来られた。その時、「マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。」(3節)「ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。』」(4~5節)


○三百デナリ相当の香油とは平均的な労働者のおおよそ一年分の給与の額に値する(一デナリは一日の平均的労賃)。イスカリオテ・ユダが「もったいないことをして!」と憤慨するのは至極当たり前に思えることで、イエス様の弟子たちをはじめ(マタイ26:8、9参照)、周囲にいた人たちのほとんどがそのように思ったであろう。イエス様はマリヤの行為を「わたしの葬りの日のために」(7節)、マルコ14:8では、「埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれた」のであると述べている。しかし、マリヤの家を訪れた時には、常に、イエス様の話しに聞き入っていたであろうマリヤであっても、この後に、イエス様が十字架にかかり、死に、墓に葬られるということまでは理解できなかったであろうと思う。だとすれば、マリヤが300万円相当の香油をイエス様の足に塗った理由は、愛する弟ラザロ(両親亡き後、強い兄弟愛で結ばれていた三人)を死人の中から生き返らせてくださったイエス様に対する感謝の表現だったのだろう。このような高価な香油であるから、おそらくマリヤ一人の所有物ではなく、亡くなった両親から引き継いだ物で、三兄弟が大事にしていた物だったのではないか。もし、私たちがその時失いたくない愛する人を亡くしたとして、300万円用意すれば、生き返らせてもらえるとしたら、そしてそれが確実なことだったら、300万円をなんとかして用意するのではないだろうか。この兄弟たちは、イエス様に対する感謝の言葉は当然であるが、それだけではなく、何か他にも、言い尽くせない感謝を表す方法はないかと考えたのであろう。その時、家にあった高価な香油をイエス様に渡したいと考えたのではないだろうか。しかし、そのまま香油を渡そうとすれば、きっと、イエス様は兄弟の生活のことを案じて受け取らないであろう。それでも、この高価な香油をもって、イエス様に対して言い尽くせない感謝を表したい。それが、この香油をイエス様の足に塗るという行為になったのではないだろうか。


○マリヤの行為を咎める者たちに対してイエス様は「そのままにしておきなさい。」(7節)、マルコ14:6では「なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。」と語られた。イエス様は、マリヤが悩み考え抜いた末、選んだその決断をそのまま受け入れてくださった。仮に、300万円相当の香油を売って、貧しい人々に施し、その行為をイエス様への感謝としたいと言えば、イエス様はそのことも受け入れて下さっただろう。隣人を愛そうとするその表し方に、形、決まりはなく、隣人愛の行為においては各々に自由があるのだということを、この時も、イエス様は示されたのであろう。

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