「迫害する者のために祈りなさい」
- 佐々木 優
- 2017年8月5日
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2017年8月6日(日)
テキスト:ヨハネの福音書11:45~57 (新約聖書203頁)
○イエス様はラザロを死人の中から生き返らせた。それを見た多くのユダヤ人はイエス様を神であると信じたが、ある者たちは、この出来事をパリサイ人たちに報告した。47~48節「そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。『われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに。もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。』」
○ユダヤの最高議会サンヘドリンは、パリサイ派とサドカイ派の両派で成り立っていた。パリサイ人たちの唯一の関心は、割礼や安息日の律法、食べ物に関する律法、洗いきよめに関する律法など、いわゆる「儀式律法を守らなければ救われない」というものであった。彼らは、「安息日に人を助ければ、安息日に労働したことになり、安息日の律法を破っているのだ。それは許せない」と叫ぶ。彼らにとって、安息日に病人を癒すイエス様は許されざる者だった。サドカイ派は極めて政治的な党派であり、富裕で貴族的な党派であった。彼らは自分たちの富と権力者としての地位を享受し保持することがゆるされさえすれば、喜んでローマに協力することに甘んじるような者たちであった。祭司はすべてサドカイ人であり、議会で支配的な地位にあったのも彼らだった。議員たちは、もし、イエス様が死人を生き返らせるというようなことを続けたならば、もっと多くの人々がイエス様に従っていくと予想した。彼らが恐れたことは、イエス様が追随者を得ていくことによって我々に反乱を起こすのではないかということであった。ローマは今のところはユダヤに対して寛大な政策を行っていたが、市民の暴動でも起これば総力をあげて鎮圧に来る。そのようなことになれば、パリサイ人にとっては儀式律法を守ることも危うくなり、サドカイ人にとっては権威ある地位から追放され、富も保持できなくなるということを恐れた。
○祭司長、パリサイ人たちにとっては、イエス様が死んでしまったラザロを生き返らせるという喜び溢れるニュースは全く関係なかった。人が死なずに済んだという喜びよりも、儀式律法を守ること、権威ある地位、富を保持することが彼らの全てであった。そのためには、イエス様を殺せばいいのだという、恐ろしいことを平然と考えるのである。ここにも神様の働きを常に妨げるサタンの働きかけがあると思われるが、しかし、あまりにも醜い人間の姿そのものがあるのも事実である。私たちが今日生きている世界も、神様の愛の御業が表わされると共に、人間の醜さもうごめいているのである。イエス様は言われた。「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)この世界のために祈る者でありたい。