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「試練とともに脱出の道も」

  • 佐々木 優
  • 2023年2月12日
  • 読了時間: 4分

2023年2月12日(日)

テキスト:マルコの福音書14:66~72(新約聖書101頁)


 イエス様はペテロがイエス様のことを三度知らないと言うことを予告していた。

マルコ14:29~30:すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

 並行記事のルカ22:31~34にはこう記されている。

シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

 ここから、ペテロの三度否認もサタンからの試練の提案があり、それを神様が承諾されたということが分かる。サタンの思惑は常に、信仰者の魂を神様から引き離すことにある。神様への信仰を失わせることにある。しかし、試練は、神様が信仰者を愛するが故に与えるものであり、信仰者の益のために与えられるのであると、ヘブル人への手紙12:5~11には記されている。

 「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。 主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」 訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。

すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。

 神様が信仰者に試練を与える時、神様はご自身の目的に沿わない試練は与えられない。よって、サタンからの試練の提案があったとしても、神様の意図に沿わない試練の提案は退けられるのである。

 Ⅰコリント10:13にはこのように記されている。

あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

 サタンの試みを神様が承認するという面も含めて、試練は神様から出ていると言える。しかし、私たちを愛して止まない神様から出ているので、それら試練も私たちのために、私たちの成長等のために神様が与える試練であると言える。試練は私たちが耐えることのできる範囲内の試練であり、試練とともに脱出の道も神様が備えてくださるのである。

 イエス様はペテロに試練が与えられることを告げた。「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)と言われた。「立ち直る」と訳された動詞は、「立ち直ることができた時には」というような、仮に・・という意味は含まれていない動詞であり、立ち直ることは定まっているという意味を表す、「立ち直ったその時には」ということばである。これは、イエス様がペテロの信仰がなくならないように祈ったから、必ず、立ち直るのであると宣言していることばなのである。

 私たちの生涯には試練がある。そして、試練とともに脱出の道も備えていて下さる神様と共に生きる生涯である。

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