「裏切るユダを憐れむイエス様」
- 佐々木 優
- 2022年11月5日
- 読了時間: 4分
2022年11月6日(日)
テキスト:マルコの福音書14:17~21 (新約聖書98頁)
十二弟子のひとりのイスカリオテのユダはイエス様を裏切っていく。イスカリオテのユダは、弟子たちの共有の資金の管理人であった。ヨハネの福音書12:6にはこのように記されている。「彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった」
どの注解書を見ても、ユダは貪欲で金銭欲が強かったということを記している。確かに弟子の共有のお金を盗んでいたことから見ても金銭欲が強かったのであろう。しかし、イエス様を裏切っていったのはお金欲しさのためではなかったのであろうと思われる。マタイの福音書26:14~15を見ると、ユダは銀貨三十枚でイエス様を祭司長たちに引き渡す手はずを取ったとあるが、銀貨一枚(1シェケル)は約150円であり、銀貨三十枚は5,000円足らずという額である。金銭欲が強いユダであるとはいえ、5,000円欲しさのためにイエス様を裏切ったのではないであろう。
ギリシャ語の文法に従えば、イスカリオテは、「短剣を身につけている者」を意味し、これは過激な国家主義者の一団につけられた名称であり、イスラエル解放運動のためには、暗殺や殺人を引き受ける覚悟のできている人たちであった。ユダは、イエス様こそ、国家主義者たちを指導して、勝利に至らせるすばらしい力を持つ方だと思ったのである。しかし、やがて、ユダは、イエス様が向かおうとしている道が自分の期待する道ではないことに気づき、もし、イエス様がご自分の命が危険にさらされるような状況に立たされたなら、きっと、その奇跡的な力でローマ人を制圧するに違いないと考え、イエス様をその行動に駆り立てようとしたという説があるが、その説が妥当のように思われる。
21節「人の子は、自分について書かれているとおり、去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」
「生まれて来なければよかった」とは、かなり残酷なことばに聞こえる。しかし、聖書が示す、神様が人に命を与える時の思いや、愛を動機としてしか働きかけることをされない神様という御方から考えると、イエス様を裏切る働きをするために神様がイスカリオテのユダを地上に誕生させたのでもなく、弟子として選んだのでもないと言えるであろう。ユダには全ての人間同様に自由意志が与えられていた。ユダはイエス様を裏切るような行動をする自由も、しない自由も選ぶことができたが、悪魔の働きかけに乗ってしまい(ヨハネ13:2)、イエス様を裏切るような行動をとってしまう。しかし、イエス様を裏切るような行動をとってしまうのはイスカリオテのユダだけではない。他の十一弟子は、後に起こるイエス様の捕縛に際してイエス様を見捨てて逃げてしまい、ペテロは自分の捕縛を恐れイエス様のことを三度知らないと言ってしまう。
マタイの福音書27:3~5には、「そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。『私は無実の人の血を売って罪を犯しました。』しかし、彼らは言った。『われわれの知ったことか。自分で始末することだ。』そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして出て行って首をつった。」 と記されている。
ユダは、イエス様が正しい御方であることを認め、その方を裏切った自分の罪を心から後悔した。そして、もう、これは死んでお詫びするしかないと思って自殺した。聖書はその自殺自体を非難しているということはない。聖書は、自殺は死のあり方の一つとしてしか見ていない。イスカリオテのユダは決していい加減な男ではなかった。自分の罪に気づくと、出来る限りのことをして罪を償おうとした。まず、祭司長、長老たちのところに言って、「わたしは間違っていた。罪のない人をあなたがたに売り渡してしまった」と真正直に告白する。それから、裏切りの代償として受け取った銀貨三十枚を返そうとした。そうすることによって、もしかしたら、今からでもイエス様を救うことができるかもしれないと考えたのではないか。ユダは罪を犯した者としてのできる限りの責任を果たそうとした。そして、最終的に死をもって自分の罪を償おうとした。
これらのことから考えても、「生まれて来なければよかった」ということばは、文字通りのことばではないのであろう。それは、裏切るという行為を、「生まれて来なければよかった」と言う表現を使う程に、その行為を悲しく思うというイエス様の悲哀に満ちたことばであったと考えられるのではないか・・。
イエス様は、銀貨を返しに行くユダの恥ずかしさ、その悲しみに満ちた後悔を分かっておられ、そして、「生まれて来なければよかった」ということばで最大級の憐みを表されたのである。