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「衰え果てているたましいへのケア」

  • 佐々木 優
  • 2025年8月17日
  • 読了時間: 5分

2025年8月17日(日)

テキスト:ヨナ書1:15~2:10(旧約聖書1,578頁)

  ヨナ書の一番大きなテーマは、「どんな人をも滅びることを望まれない神さま」であると言えます。続いて本日のテキストも、その趣旨に沿ってヨナ書を見ていきたいと思います。

 15節「こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。」

 ヨナは、本当に投げ込まれるとは思わなかったかもしれませんが投げ込まれてしまいました。

 17節「主は大きな魚を備えて、ヨナを吞み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」神さまは大きな魚を備えてヨナを飲み込ませました。この大きな魚は何の魚だったのかは分かりませんが、大きな魚に飲み込まれたヨナは三日三晩、魚の腹の中にいたのです。

 神さまは、死んでもかまわないとまで思いつめてしまったヨナをどうすれば失わないで済むかで悩まれたのでしょう。そして「大風を海に吹きつけ」(1章4節)それ以上行くと良くないよという神さまのストップがあり、次に大魚を用意してヨナを守りました(1章17節)

 2章7節「私のたましいが私のうちで衰え果てたとき」と書かれてあります。「たましい」とは、「たましい、いのち、人格、願望、感情、情熱、息をしている者、心の活動、意志の活動、人格の活動」など、幅と奥行きのあることばです。創世記2:7「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」「生きるもの」ヨナ2:7「たましい」は同じことばです。

 神さまはヨナを見て、たましいが衰え果てている、ヨナ自身の心の機能、人格、感情などが思った以上にダメージを受けてしまっているので、このままでは危ないと思われたのでしょう。大魚を用意して、とにかく一時避難をしてもらい、深いケアが必要だと思われたのだと思います。

 ヨナのダメージはこのようにあらわれていました。

〇生きることの喪失ゆえ、船底でぐっすり寝入ってしまった。

〇ただ死を願う状況に追い込まれていた。

「私のせいで」(1:12)と、あらゆることは自分が原因で起きたと考えていってしまった可能性。

 ヨナがこれらのダメージを受けていってしまった原因は1章2節にあります。「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。」・・。ヨナがこれまでに教えられてきた神さまとあまりに違い、信じてきた人生観が足元から揺らぐ体験だったのだと思います。ユダヤ人の神さま理解はものすごく堅固です。絶対主権をもった神さまが自分たちを支えていて、自分たちを特別扱いして下さる。だから多少苦しくても頑張ってやってこられた。その思いが根底から崩れていったのだと思います。これは喪失体験でした。生きる意欲を失い、生きる目的を失い、うつ状態になっていったのかもしれません。

 そのようなヨナに神さまは寄り添われヨナをケアされました。

 水の恐怖を味わった(5,6節)ヨナは自分のいのちについて深く考えることになったのでしょう。そして改めて、いのちの源は神さまなのだと思ったのでしょう。

 8節「空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。」

 このことばはヨナが自分自身のことを言っているのか、あるいは、アッシリアの人々のことを言っているのか、はっきりとは分かりませんが、ヨナが自分自身のことを言っているのだとしたら、ヨナの愛国心と敵国への思いも幻影に過ぎなかった。偶像(聖書が述べる偶像、像を刻むということではなく、見えない存在を大切にしなければ幸せはないのに、見える何かをよりどころにすることです)に過ぎなかったということに気づいたということだと思います。しかし、この後のヨナ書を見ると、ヨナのアッシリアへの思いが180度変わったのではないように思えますので、この8節のことばはアッシリアの人々のことを指して述べたのだと思います。ヨナは喪失感の中で神さまのケアを受け、改めて神さまの恵みを知りましたが、しかし長年しみついた愛国心、アイデンティティーが一機に変わるということは難しいのだと思います。

 命が果てていく寸前でヨナは「主を思い出し」(7節)「もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たい」(4節)と思ったのです。地上で生きていた時に与えられていた神さまからの恵みをもう一度味わいたいと思ったのではないでしょうか・・。自分は神の宮が好きだった、心の深いところで慕い求めていたということに改めて気づいたのだと思います。

 そして9節で、「救いは主のものです」と告白しました。英語の聖書では「救いは、主から来ます」となっています。恵みはただ神さまから来るということに改めて気づいたのかもしれません。

 そのことに気づいていった時に、神さまの物理的な囲い(大魚の腹の中)はもう必要なくなりました。そして、「主は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた」(10節)のです。神さまは、ヨナがここまで回復できれば、あとは自分で歩いて行けると判断されたのではないでしょうか・・。

 私たちの生涯においても喪失体験があるかもしれません。ヨナに寄り添いたましいのケアをして下さった神さまは私たちのケアもして下さるのです。

 


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