「苦難の前には神さまからの力づけがある」
- 佐々木 優
- 2月1日
- 読了時間: 4分
2026年2月1日(日)
テキスト:ルカの福音書4:20~30 (新約聖書116頁)
(4:20 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。)故郷に凱旋したイエスさまが故郷の自分たちに何を語ってくれるのかと大きな期待を持っていたのでしょう。
(4:21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」)イエスさまは「主の恵みの年」(4:19)の宣言をされました。それは、イエスさまが視点の転換を促した年のことだと思います。律法を守っているからではなく、神さまはそのままのあなたを素のままのあなたを愛しているから、そのままでいい・・・素のままのあなたに祝福は注がれるのだからという宣言の年だったのだと思います。イエスさまは聴衆にそれが今実現しているのだと語られたのです。
(4:22 人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いて、「この人はヨセフの子ではないか」と言った。)聴衆の大半の反応は普段耳にしている律法学者・パリサイ人たちの語ることばとは違うものを感じてイエスさまをほめたのだと思います。しかし同時に、自分たちがよく知っているヨセフ(すでに亡くなっていたと思います)のせがれのことばに過ぎないという反応があったということです。
(4:23 そこでイエスは彼らに言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、『カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ』と言うでしょう。」)イエスさまは故郷ナザレに来る前に、ガリラヤのカナでの婚礼の席で水をぶどう酒に変えたり、死にかかっていた王室の役人の息子を治したりの奇跡を行いました(ヨハネ1~4章)。民衆はここでも同じ奇跡を見せてくれと言いました。
(4:24 そしてこう言われた。「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。4:25 まことに、あなたがたに言います。エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、4:26 そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女にだけ遣わされました。4:27 また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。」
)イエスさまは旧約時代の預言者エリヤ、エリシャの例を出し、自国のイスラエルでは歓迎されないので、大飢饉時の援助、重い皮膚病(ツァラアト)の癒しの御業を異邦人に対して行ったのだと言われた。神さまは頂きたいと思ってもいない人に御業をごり押しされない方なのです。故に、預言者エリヤ、エリシャは飢饉を助けてほしい、重い皮膚病を癒してほしいと願い心を開いている人たちのところに遣わされていったのだと思います。
イエスさまの故郷ナザレの人々も同じだったということです。奇跡を見せてみろという感じだったのだと思います。当然ナザレにも病人がいたでしょう。しかし、癒してほしいと願われてもいないのにごり押しはしないということだと思います。
(4:28 これを聞くと、会堂にいた人たちはみな憤りに満たされ、4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。
4:30 しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。)
イエスさまのことばを聞いた聴衆は激怒しました。それは異邦人を祝福し、自国イスラエルを祝福しないことがあると語ったイエスさまのことばが許せなかったからでしょう。神さまは異邦人に祝福を注ぐことなんてないという固執した意識はこの後の使徒の時代でも見れらることでしたが、それは今日でもイスラエルとパレスチナの問題に見られるように続いています。
イエスさまはそんな故郷ナザレの人たちの姿を目の当たりにして、大変に辛く、心傷ついたのではないでしょうか・・。
ナザレの人たちの意識は、私たちの意識で言えば、あの人よりも自分は上だと思って安心感を持とうとするような意識も同じようなものかもしれません。
イエスさまは故郷ガリラヤに帰って行く時に、「御霊の力を帯びて」(4:14)帰って行ったと記されています。神さまは、イエスさまが故郷で辛く心傷つく思いをされるイエスさまのために事前に御霊の力を帯びさせたのだと思います。私たちも辛い経験をすることがあるでしょう。神さまは私たちにも事前に御霊の力を帯びさせ、困難を通過できるようにして下さっているのです。神さまの側から私たちに・・。