top of page

「苦しむときも、そこにある助け」

  • 佐々木 優
  • 2023年3月5日
  • 読了時間: 2分

2023年3月5日(日)

テキスト:詩篇46:1~11(旧約聖書980頁)


 この詩篇は危機の際に現された神様の助けを記している。具体的には紀元前701年に、アッシリアの王センナケリブが大軍を率いてエルサレムを包囲するが、預言者イザヤの預言の通り(ユダは神様の保護のもとで安全である)、アッシリア軍は神様のなさった不思議な方法で壊滅的な打撃を受けた(「その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。」Ⅱ列王記19:35、同内容記事はⅡ歴代誌32:21、イザヤ37:36)という驚くべき神様の御業の出来事を指しているのであろう。これは旧約聖書中の驚異的な奇蹟の一つであった。

 1節「神はわれらの避け所また力。」神様は私たちの避難所であり、内側にいて力を与える御方である。「苦しむときそこにある強き助け。」私たちが苦しんでいる時、神様は驚くほど身近にいて助けて下さる。「それゆえわれらは恐れない。」(2節)と作者は告白する。

 神様のご支配は、「自然界の混乱にも」(1~3節)、「ご自身の都を攻撃する者にも」(4~7節)、「戦いに明け暮れる全世界にも」(8~11節)及ぶ。作者は混乱のただ中で、ひたすら神様にすがった結果として、「われらは恐れない。」と告白する。

 7節「万軍の主はわれらとともにおられる。」アッシリアの王センナケリブの大軍からユダヤの民を救って下さった神様はわれらとともにおられる。「ヤコブの神はわれらの砦である。」「ヤコブの神」とは、昔ヤコブを多くの災いから救い出して下さった方のことを指し(創世記35:3「私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」)、イスラエルの先祖をあらゆる災難から救いだして下さった神様のことを指している。

 「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。」人は苦しみに遭う時に、驚くほど身近にいて助けて下さっている神様を知的にではなく個人的に知る者なのかもしれない。

神様はいつも私たちと共にいて下さる。苦しむ時は尚更に・・。


最新記事

すべて表示
「あなたにはわたしの傍にいてほしい」

2025年11月23日(日) テキスト:創世記3:1~13 (旧約聖書4頁)  本日の箇所には、人間の先祖アダムがサタンの誘惑に合い、自分の自由意志を用いて、いのちの木の実に手を出し、神さまとの距離ができたことが記されています。聖書が示す罪とは、その後、アダムとエバの長男カインが弟アベルを殺してしまった (創世記3章~4章16節) ことによって物理的に「罪」というものが人間に入ったということではな

 
 
「教会はイエスさまのものだから」

2025年11月16日(日) テキスト:使徒の働き12:24~25 (新約聖書259頁) (24節:神のことばはますます盛んになり、広まっていった。)  このことばは、ヘロデ・アグリッパ王による激しい教会迫害があったにもかかわらず神さまのことばはますます盛んになり、広まっていったということを示している。それは神さまがなさっておられるからです。ヘロデ・アグリッパ王のことも愛しておられる神さまの股裂き

 
 
「愛のゆえに力を制限される神さま」

2025年11月9日(日) テキスト:使徒の働き12:1~23 (新約聖書257頁) 1~4節  アンティオキア教会がエルサレム教会へ救援物資を集めていた頃、紀元44年の過越の祭りの頃、ヘロデ王(アグリッパ1世、イエスさま誕生の時の支配者だったヘロデ大王の孫、ローマ皇帝カリギュラと親交があった)は、ヘロデ王家が混血であったため、保守的なユダヤ人たちの歓心を買おうとし、異邦人との交流を深めていたエル

 
 
bottom of page