「自由意志を尊重される神の愛」
- 佐々木 優
- 2022年8月13日
- 読了時間: 3分
2022年8月14日(日)
テキスト:マルコの福音書12:1~12 (新約聖書92頁)
当時は、地主が畑を他人に任せて出かけるというケースがよくあったということである。
イエス様はたとえで話された。ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸し、旅に出た。収穫の季節になったので、収穫の一部を受け取るため、農夫たちのところに、しもべを遣わした。すると農夫たちはしもべに危害を加え、何も持たせないで送り返した。そういうことが三度続いた。そこでぶどう園の主人は、自分の愛する息子を送った。私の息子なら農夫たちも敬ってくれるだろうと思ったからである。ところが主人の期待は裏切られた。土地の所有者が死んで後継者がなければ小作人がその土地の権利を主張できることになっていたので、この農夫たちは、その息子を殺せばぶどう園は自分たちのものになると考え、彼を捕らえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。しかしそれを知ったぶどう園の主人は戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまう。これが、このたとえのあらすじである。
このたとえの設定はこのようになっている。
ぶどう園の主人:神様
ぶどう園:神様と契約関係にあったイスラエルの民
農夫たち:イスラエルの指導者たち
主人が送ったしもべたち:イエス様の時代に至るまで神様が何度も派遣した預言者たちであり、バプテスマのヨハネも含まれている
ぶどう園の主人の愛する息子:イエス様
ほかの人たち:異邦人(イスラエルの民ではない人々)
イエス様はたとえをもってイスラエルの指導者たちの詰問(11:28)に対する答えとイエス様がなさった質問(11:30)の答えを示された。ぶどう園の主人の愛する息子はイエス様であり、神様の子として神様から権威を授かっているのだと答えられた。そして、バプテスマのヨハネも神様から遣わされた一人であると・・。
農夫たちは、ぶどう園を借りていた。イスラエルの指導者たちは、イスラエルという国を神様から預かっていたにすぎない。しかし、いつしか、イスラエルの指導者たちは、そのことを忘れ、神様の御旨から逸れていってしまったのである。
イエス様は、新しいことを理解する助けとして慣れ親しんだものを用いるたとえで話された。たとえは、喜んで聞いて学ぼうとする人たちだけに通じるものだった。
結果的には、イスラエルの指導者たちは、たとえの中の農夫たちが自分たちを指していることには気づくが、神様の示そうとしておられる真意には気づかず、彼らは悔い改めるどころか、敵意を更に燃え立たせていった。
神様は昔から今に至るまで、人間にメッセージを語っておられる。あなたはどのような人間なのか・・、今、何をしているのか・・。
しかし、そのメッセージに心を向けるのも、向けないのも、各々の自由意志に任せておられるのである。そこにも、私たちには計り知ることのできない神様の深い愛があるのである。