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「自分の気持ちを抑圧するのはやめませんか」

  • 佐々木 優
  • 2024年10月19日
  • 読了時間: 4分

2024年10月20日(日)

テキスト:使徒の働き9:1~9(新約聖書250頁)


 本日の聖書箇所から3つの点を覚えたいと思います。


1.サウロの他者への攻撃性

9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、

9:2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。

 この迫害の急先鋒サウロは、ラビという聖書を教える指導者を育てる学校にも入り、しかも、最難関であったガマリエルのラビ上級学校という学校に合格、パリサイ派というユダヤ教の一派の中でも厳格派のパリサイ派に属していた。ユダヤ人にとってみればエリート中のエリートですが、なぜサウロはここまで攻撃性を帯びた人間になってしまったのでしょうか?

 自分の気持ちを表現しないまま抑圧している状態が続くと、抑圧していない人が赦せなくなる。・・パリサイ人・律法学者の宗教実践は、心理的には抑圧する方向に向き、その葛藤は、他者への攻撃性として表現され、そのときにターゲットになるのは、自由に生きている人、自分を縛らないでいられる人、ロジック型よりは芸術型の人、気持ちを素直に表現できる人、そして、恵みに生かされている人であるとのことです。サウロもそうであったかもしれません。

 サウロは育ってきた環境の影響もあり、優秀でいたいという思いが強くなり、弱く思える存在に嫌悪感を抱き、また、ユダヤ教こそが真の宗教であると、異質のものへの嫌悪感を強めていってしまったのかもしれません。


2.それ以上はいけないよとストップをかけられるイエスさま

 迫害を受けていたクリスチャンたちは怖かったでしょう。サウロの直接的な手ではなくとも実際には亡くなった人もいたでしょう。よみがえられていつも共にいると約束されたイエスさまはどこにいるのかと思ったクリスチャンもたくさんいたでしょう。

 聖書には、神さまがマックス・パワーで介入されない事例がたくさん記されています。聖書は神さまが力をどのように発揮されるかを記述している書ではなく、神さまがご自分のかたちに似せて造られた私たち人間を相手に、その御力をどう制限されたかが書かれている書であるということです。神さまが造られた世界、人間が関わる世界は、力ではなく愛によってという原則しか機能しないということです。愛は、自分の力を制限すること・・強い側が力を行使している限り、そこに愛の関係は生まれない・・神さまは、愛のゆえにご自分を制限される・・本当は力を行使することによって私たちを助けたいと願いつつ、愛のゆえに力を制限される、こんな股裂き状態の中におられるのです。神さまは、私たちがイメージするような形では、マックス・パワーで介入してくださらなかったとしても、私たちのために必死で働いておられる方であり、力の介入が本当の解決をもたらさないということと、私たちを愛し抜かれ、何とか守らなければならないということ、この二つの思いの間で、引き裂かれるようなジレンマに絶叫しておられるということ・・・神さまは苦しみの中でこそ私たちとともにおられる方であり、決して何もしておられないのではなく、懸命に苦しみの中にいる私たちとともに歩み、ともに重荷を担おうとされ、私たちの祈りに耳を傾け、何とか祈りに答えようとされるお方なのです。

 そのようなお方が、迫害を受け、苦しみの中におかれているクリスチャンをもうこれ以上は見ていられないと、サウロの迫害にストップをかけられたのでしょう・・。

9:3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。

9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」

9:5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。


3.自分を赦してあげようよと言われるイエスさま

 イエスさまは、迫害をしているサウロにも深い思いを寄せておられたでしょう・・。生まれて来る環境を選べなかったサウロに、「辛い環境下で生きざるを得なかったこと・・辛い思いを長きに亘ってさせてしまいましたね・・申し訳なかった」と。

 もう自分の感情を押さえつけ抑圧し、他人を嫌悪し、自分を嫌悪するのはやめませんか・・と。自分を責めるのはやめて、自分を赦してあげませんか・・と。

9:6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。

 自分の感情を殺して生きるのではなく、正直な自分で、素のままの自分で生きる生き方をしてみませんかとイエスさまはサウロに問いかけられたのではないでしょうか・・。

   



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