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「自分の最後の立ち位置はどこなのか」

  • 佐々木 優
  • 3月9日
  • 読了時間: 1分

2025年3月9日(日)

テキスト:マタイの福音書6:20~21(新約聖書10頁)


 20節「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。」

ここを見ますと、虫やさび→衣服を食い荒らしたり、傷物にしてしまう、盗人が壁に穴を開けて盗む・・と、いずれも消えてなくなるという意味です。

 21節「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」

 「天に宝を蓄える」とは、どこに立ち位置を置いて人生を考えるかということです。私たちは見える世界で生きていて、それはすごく大切なものであり、神さまも大切なものとして心にかけ、その部分もしっかりと見ていて下さいます。しかし、最後の立ち位置はどこに置いているのか・・そのことを意識しておくことが大切だということです。

 見えない世界で豊かに働いておられる神さまが、私たちが生きる現実にも深い関心を寄せていて下さり、見守り続け、支え続けていて下さる・・だから大丈夫だと思える。それが山上の説教なのです。

 


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