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「聖霊の神がなさること」

  • 佐々木 優
  • 2017年6月3日
  • 読了時間: 3分

2017年6月4日(日)

テキスト:ヨハネの福音書16:13 (新約聖書214頁)

○本日は教会暦のペンテコステ、聖霊降臨を記念し、感謝する日である。聖霊降臨の出来事以降、イエス様を自分の神であり、罪からの救い主であると信じる一人一人の内に聖霊は宿って下さるようになった。聖霊の神は、イエス様と同じ本質を持つ、もうひとりの助け主である(ヨハネの福音書14章16節)。


○創造主なる神様による天地万物創造の時、最初に造られた人類の先祖アダムは、神様との愛の交わりの中で、神様のもとで生きることによって満たされて生きるものとして命を与えられた。そしてアダムの心の中に神様は律法を書き記された。その律法は、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という戒めと、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイの福音書22章34~40節)という戒めに集約することができる。これは、神様との交わりのあり方、隣人との交わりのあり方を示したものである。神様は人間に対して、このように生きることによって、神様のもとで満たされて生きて欲しいと願っておられる。しかし、人類の先祖アダムは自らの意志で、造り主である神様のもとから離れて行き、アダムの遺伝を受け継いで生まれてくるその後の人間一人一人も、神様との交わりの中から離れて生きる生き方を選び取っていくようになったのである。人間一人一人の存在を愛して止まない神様は、神様との交わりの回復のために、神である一人子なるイエス様を十字架に付け、復活させられた。そして、イエス様を神であり罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じる者に罪の赦し(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)を与え、神様との愛の交わりの中で、神様のもとで生きることによって満たされて生きるものとして下さった。


「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(ヨハネの福音書16章13節)

 降臨された聖霊なる神も、神様との愛の交わりの中で、神様のもとで生きることによって満たされて生きるようにと働きかけて下さっている。すべての真理とは、それに関する事(イエス様の贖いの十字架・復活、その証人として生きる力等も含まれる)を指している。聖霊((1))は聖書の真の著者であるとも言えるが、私たちの身の周りに起こる日常的な出来事(受験校、就職先等々)に対する神様の御心が聖書に記されているわけではない。聖書は、そのような目的のために記されたわけではないからである。すなわち、聖霊も、私たちの身の周りに起こる日常的な出来事に対する神様の御心を示すのではない。

 「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネの福音書15章26節)

 私たちは聖霊の助けの中で、与えられている理性を用い、祈りの中で日常的な出来事に対する自分の歩みを見出していくのである。

参考文献:(1)中澤啓介師 「被造物管理の神学講演10(A-10) 2014年5月7日 大野キリスト教会献堂記念講演(3)」

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