「聖書が成就するため」
- 佐々木 優
- 2023年1月21日
- 読了時間: 3分
2023年1月22日(日)
テキスト:マルコの福音書14:43~52 (新約聖書100頁)
49節「わたしは毎日、宮であなたがたと一緒にいて教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえませんでした。しかし、こうなったのは聖書が成就するためです。」
43節~52節のイエス様の逮捕場面は、聖書の預言が成就するためであったと言えるであろう。
剣や棒を手にしてイエス様を捕らえに来た群衆は、マルコ14:27で引用されたゼカリヤ書13:7「剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の主のことば──。」の成就だと考えられている。
イスカリオテ・ユダの裏切りも、神様のご計画の中で定められていたことが成就したと言えるであろう。以下のみことばからもそれは分かる。
ヨハネ13:18「わたしは、あなたがたすべてについて言っているのではありません。わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。けれども、聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは成就するのです。」
マタイ27:3~9:そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして出て行って首をつった。祭司長たちは銀貨を取って、言った。「これは血の代価だから、神殿の金庫に入れることは許されない。」そこで彼らは相談し、その金で陶器師の畑を買って、異国人のための墓地にした。このため、その畑は今日まで血の畑と呼ばれている。そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの子らに値積もりされた人の価である。主が私に命じられたように、彼らはその金を払って陶器師の畑を買い取った。」
イエス様の弟子や身近にいた者(マルコ14:51~52、著者のマルコ自身のことではないかと考えられている)まで全員がイエス様を見捨てて逃げ去ったことも、ゼカリヤ書13:7「羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き」の成就であると考えられている。
ということは、弟子たちがイエス様を見捨てて逃げ去ったことは、「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈って」(マルコ14:38)いても起こることだったと言えるのではないか・・。だとすれば、弟子たちが「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈る」目的は何だったのであろうか・・。それは、イエス様と同じ思いに導かれていくということだったのではないか・・。「十字架が神様のご計画である」という思いに・・。
聖書の預言は成就するので、「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈って」いても結果的に弟子たちは逃げ去るが、しかし、これは、神様のご計画通りに事が起こっていると受け止めながら逃げ去ってしまうということになったのではないか・・。
本日の箇所はイエス様の逮捕場面でのことなので、そのことを私たちにどのように適応すべきなのかは難しいが、私たちにおいても、祈っていても好ましく思えないことが起こるという現実があるだろう。その時に、イエス様の逮捕場面は、聖書の預言の成就だったことを思い起こせればと思う。