「罪人の友として来られた救い主」
- 佐々木 優
- 2022年11月26日
- 読了時間: 4分
2022年11月27日(日)
テキスト:マタイの福音書1:1~17 (1頁)
マタイの福音書は、イエス・キリストの弟子であったユダヤ人マタイが、ユダヤ人のために書いた書物である。マタイは、旧約聖書で預言されてきた救い主はイエス・キリストであること、旧約聖書の預言はイエス・キリストにおいて成就したということをユダヤ人に説得しようとこの書物を書いた。
ユダヤ人が伝記を書くときには、まず冒頭に家系血統を記した系図を書いた。ユダヤ人は家系血統を重んじた。それは、彼らができる限りユダヤ人の血の純潔(外国人の血が混ざらぬよう)を保とうとしたからである。
ユダヤ人の歴史が分からず、旧約聖書に関する知識が薄い人にとっては、新約聖書の冒頭に出てくるこの系図はわけの分からないものなのだが、当時のユダヤ人がこの系図に記されている一人一人の名前を読む時、その人物とその時代の歴史的背景を次々と思い出すことができた。
この系図は、旧約聖書の預言通りに、イエス・キリストがダビデ王とアブラハムの子孫であるということを証明するものであった。
2節に「アブラハム」という名前が出てくるが、アブラハムはユダヤ民族の先祖で、信仰の父と呼ばれた人物であった。神様はアブラハムと約束を結び、「地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)と語られた。これは、神様が人類を罪(神様から的がはずれている)の中から救うために、アブラハムとその子孫であるユダヤ民族を選び、彼らを通して全人類に救いの福音が伝えられるという意味のことばである。マタイは、イエス・キリストが「アブラハムの子孫」であると言うことにより、イエス・キリストこそがアブラハムに対して約束されたことを成就するために来られた方であるということを読者に伝えようとしたのである。
6節に「ダビデ」という名前が出てくるが、ダビデはユダヤ人の歴史の中で最大の王様であった。今日においてもイスラエルの国旗にはダビデの紋章が入っている。ユダヤ人にとってダビデは理想の王様であった。そして神様はダビデに、「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(Ⅱサムエル7:12、13)と約束された。その後、エレミヤという預言者は、ダビデの子孫の中から一人の人物が現れ、その人によってユダヤ人に救いがもたらされると預言した(エレミヤ書23:5、6)。そしてその預言はイエス・キリストによって成就したということをマタイは伝えようとしたのである。
この系図には4人の女性の名が記されている。ユダヤの系図には、普通、女性の名前は記されていなかった。女性は法律上の権限を持たず、父親か夫の所有物という立場であった。3節の「タマル」は、ユダの息子と結婚するが、夫が死に、ユダヤの法律にのっとって、ユダの次男と結婚するが、その次男も死に、ユダはタマルと他の息子を結婚させると言うが、タマルと結婚させることを嫌がり、その約束を果たさずにいた。すると、タマルは遊女の姿を装って、しゅうとであるユダを欺いて義理の父の子を産んだ(創世記38章)。「ペレツとゼラフ」は、姦淫と謀略によって生まれた子どもであった。5節の「ラハブ」は遊女であった(ヨシュア記2:1)。しかも彼女はユダヤ人ではなく、カナン人であった。ユダヤ人は、自分たちは神様によって選ばれた民族「選民」であるとう自負心があり、ユダヤ人以外の民族を異邦人と呼んで極端に軽蔑していた。また、5節に記されている「ルツ」もモアブ人という外国人であった。6節の「ウリヤの妻」とは、バテ・シェバという人物であり、ダビデはこの女性が水浴しているのを見てしまい、欲求を抑えられずに、彼女を王宮に召し入れて妊娠させてしまい、あげくの果てに、その事実を隠すため、彼女の夫ウリヤを戦場で死ぬように画策し、戦死させ、彼女を奪うという大きな罪を犯した。
マタイは、ユダヤ人が誇りとしていたユダヤ民族の血の中にも、明らかな異邦人の血が混じっていて、決して純粋ではなく、その上、数々の不倫や罪の汚点があったことを読者に思い起こさせている。
「アブラハムの子孫」「ダビデの子孫」であるイエス・キリストは神様が約束された救い主の成就であった。そして、異邦人の血も混じり、数々の不倫や罪の汚点の系図から生まれた救い主イエス・キリストの誕生は、神様はそのような人々を見下したり蔑視したりしてはいないということの証明であった。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)イエス・キリストは、罪人の友としてこの地上に来てくださった救い主なのである。