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「罪の赦しを得させる悔い改めがあることを」

  • 佐々木 優
  • 2022年5月7日
  • 読了時間: 4分

2022年5月8日(日)

テキスト:ルカの福音書24:36~49 (新約聖書174頁)


 エマオの途上で復活されたイエス様にお会いしたクレオパ夫妻は急いでエルサレムに引き返した。そして、イエス様の十一弟子とその仲間が集まり、その日起こったイエス様のよみがえりの驚くべき出来事を互いに話し合っている中に加わり、クレオパ夫妻も復活されたイエス様に出会った驚くべき出来事の報告をした。イースターの日の同じ時間の出来事を記していると考えられるヨハネの福音書20:19以下の記述では、19節に「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。『平安があなたがたにあるように。』」とある。弟子たちは、イエス様と同じく今度は自分たちが逮捕され殺されるかもしれないという不安にかられながら、戦々恐々として、戸に鍵をかけ家の中にこもっていたのである。この時の弟子たちは、よみがえりのイエス様に出会ったという驚きと興奮の最中にはあったが、まだ、復活のイエス様を信じる自分たちも死んでも生き返る(イエス様の再臨時)ということが分かっていなかった故に、今度は自分たちが殺されるかもしれないという恐怖が彼らの心を覆っていたに違いない。

イエス様は戸に鍵がかけられていた部屋の弟子たちが話し合っているその真ん中に突然現れた。復活のイエス様は突然姿を現したり、消したりされた。これは人間の理解を超えている。

ユダヤの指導者たちを恐れていた弟子たちにイエス様は語られた。「平安があなたがたにあるように」このことばの意味には、「神があなたがたにあらゆるよいものを備えて下さるように」という意味がある。ユダヤの指導者たちへの恐れに対するものだけではなく、今後生きていく上での様々な不安に対して神様がよいものを備えて下さるとの励ましのことばだったのであろう。

 37節「彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。」弟子たちは幽霊を見ているのだと思ったのである。復活されたイエス様の目撃談を話してはいても、戸に鍵がかけられていた部屋の、しかも弟子たちが話し合っているその真ん中に突然イエス様が現れたのであるから、弟子たちが驚き恐れて、その現実を受け止められないというのは、ごく自然な反応であろう。しかし、戸をノックした場合の恐怖心(ユダヤの指導者たちが捕らえに来た?)のことを考慮し、イエス様はこのように突然、弟子たちが話し合っているその真ん中に現れたのであろう。

 39節「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」十字架に釘付けにされた手足の傷跡を見せ、更に、焼いた魚を食べる姿を見せることによって、死んだイエス様が肉体をもって復活したことをはっきりと示されたのである。そして、復活は、既に、みことばによって約束されていたことを悟らせるために弟子たちの心を開かれ、みことばを思い出させようとされた。44~47節「そしてイエスは言われた。『わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。』それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。」

 弟子たちに恐れに打ちひしがれているような時間はなかったのである。十字架にかけられ死んでしまったイエス様に対する失望感の最中にあるイスラエルの人々にいち早く、イエス様は死からよみがえられたことを伝える必要があった。神様の人類に対する愛のご計画、「罪の赦しを得させる悔い改め」があることを、イスラエルの人々に、あらゆる国の人々に宣べ伝えなければならなかったのである。そのためにも、イエス様は弟子たちに、ご自身の復活を確信させるため、よみがえりの姿を見せ、復活の事実を示すみことばを悟らせるために心を開いて下さったのである。


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