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「神様抜きの人生はすべてが空しい」

  • 佐々木 優
  • 2023年10月22日
  • 読了時間: 3分

2023年10月22日(日)

伝道者の書の著者ソロモンは、イスラエル統一王国時代の3番目の王(紀元前971-931年在位)である。彼は、イスラエルの王とされた時、神様から「あなたに何を与えようか。願え。」と尋ねられ、「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。」と願う。この願い事は神様の御心にかない、神様は彼に「知恵と判断の心」とを与えられた(Ⅰ列王記3:5~12)。神様が知恵の心と判断する心をお与えになったが故に、彼の知的優秀さは後代までの語りぐさとなった。神様から知恵と力をいただいたソロモンは、行政と建築に手腕を発揮し、軍を整備し、船団をつくって貿易を盛んにし、イスラエル王国の最盛期をもたらした。

 しかし、繁栄の背後には問題点もあった。豪華な神殿と王宮の建設事業を完遂するために、在留異国人を奴隷として酷使し(Ⅰ列王記9:20~21、Ⅱ歴代誌8:7~8、17~18、9:10)、イスラエル人をも強制労働に服させた(Ⅰ列王記5:13~18、9:15)。また、異邦人とのソロモンの政略結婚は偶像礼拝を盛んにし、晩年にはソロモン自身の信仰も薄れていった(Ⅰ列王記11:4~8)。

 いずれにしましても、栄華を極めたソロモンが、「空の空。すべては空。」と語ることに説得力を覚える(ソロモンは仏教の始祖、釈迦の約550年前の人物であり、「空」の理論を完成したのは紀元後2、3世紀のインドの龍樹であるという見方が有力であるが、「伝道者の書」の成立を紀元前2世紀の初めにまで遅らせても、仏教の教えがこの書に影響を与えているとは考えられない。高橋秀典著『正しすぎてはならない』18頁参照)。

 「空の空」とは、「何と空しいことか!」と訳すことができるそうである。「何と空しいことか」「すべては空しい」と著者が嘆く理由は、「日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」と思えるこの世界の現実が見えるからである。

 伝道者の書の結論は12章13~14節に記されている。「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。」

 神様の存在を抜きにして、神様の御前にあって自分はどのように生きているかということを抜きにして、この世界を見る時に、「どんなに労苦しても、それが人に何の益」になるというのかという思いに行き着くのである。

 自然は単調なくり返しをしているに過ぎないように見えるが(4~11節)、私たちの人生も神様を抜きにしたならば、「日の下には新しいものは一つもない」ただ先人が行ってきたことのくり返しをしているに過ぎないだけのものになってしまうのである。

 神様を抜きにした人生は、自分で自分の存在意義を探し求め、何かを成し遂げることができる自分を、人から尊いと思われる自分を築いていこうと駆り立てられる人生を歩まざるを得なくなるのである。

 栄華を極めたソロモンは、神様を抜きにしたならば「すべては空しい」と語った。



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