「神があなたがたに望んでおられること」
- 佐々木 優
- 2017年8月26日
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2017年8月27日(日)
テキスト:Ⅰテサロニケ5:16~18 (401頁)
○当時、テサロニケ教会は、誕生したばかりの教会であった。誕生したばかりの教会は激しい迫害に直面していた。また、それに乗じて信仰を動揺させようとする者たちがいた(Ⅰテサロニケ3:1~5)。テサロニケ教会の人々は苦難に囲まれ、おいそれと喜べるような状況にはなかった。そのような状況にあり、テサロニケの人々はパウロに会いたがっていた。当然パウロも会いたくて仕方がなかった。そのテサロニケの信徒にパウロは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(16~18節)と語る。苦難に囲まれている状況にあって、愛するテサロニケの信徒に心に刻んでほしかったことは、神様が人間に対して望んでおられること、神様のみこころであった。それは、「いつも喜んで生きる」ことであった。「喜ぶ」という行動の主体はテサロニケの信徒である。
○神様は人間が神様の守りの中で満たされ喜んで生きるようにと人間を造られた。だから、主体的に「喜んで生きなさい」と言うのである。
○「すべての事について、感謝しなさい。」
迫害があり、信仰を惑わす者がいて、そのような状況下にあって、「すべての事について、感謝する」のは無理ではないかとも思える。しかし、「絶えず祈る」ことによって、祈っている中で、自分にとって負と思えることも、プラスに思うことができる。負と思えることも感謝に思えるというのである。これは、イエス様にあって「いつも喜んで生きよう」とした時にこそ得られる感謝である。パウロは、「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と述べる。
○イエス様を信じる以前のパウロは、パリサイ派というユダヤ教の一派の中でも厳格派のパリサイ派に属し、律法を教える指導者であった。聖書に精通し、神から遣わされるメシヤ理解のみならず、罪、救い、信仰について十分に理解していた。ただ、ナザレのイエスを神であり、神から遣わされてきたメシヤとして認めることができなかった故、クリスチャンを激しく迫害した。しかし、復活したイエス様に出会い、パウロの人生は変わった。神様の教えを守れば祝福、守らなければ災いという律法主義的な生き方から解放され、自分の存在そのものを愛してくださっている神様であったことに気付いたのである。イエス様に出会ったパウロが、「キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられること」それは、「いつも喜んで生きる」ことであると述べるのである。