「祈りによって強められる」
- 佐々木 優
- 2023年1月14日
- 読了時間: 2分
2023年1月15日(日)
テキスト:マルコの福音書14:32~42(新約聖書99頁)
先週に引き続き本日も、ゲツセマネの園での祈りの箇所から学びたい。
2つの点を覚えたい。
①<弱い肉体を支えるのは、神様との交わり・祈りによって強められる霊である>
37~38節:イエスは戻り、彼らが眠っているのを見て、ペテロに言われた。「シモン、眠っているのですか。一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
誘惑とは、サタンの誘惑である。サタンの思惑は常に、信仰者の魂を神様から引き離すことにある。イエス様に対してでさえ、できることならば十字架刑(神様との魂の断絶)を受けたくないという思いに対して、十字架をやめればいいではないかとささやきかけるサタンの誘惑があったのである。この時、弟子たちは疲れて1時間足らずも目をあけていることができずに眠ってしまっていたが、人間の肉体を持っていたイエス様は、ご自身の肉体の弱さを認め、また、そこに付け込もうとするサタンの誘惑に対して、それを祈りによって克服されたのである。
私たちは弱い肉体を持っていることを自覚しているようでいて、自力で、その弱い肉体で事を解決しようとしやすい者なのかもしれない。弱い肉体を支えるのは、神様との交わり・祈りによって強められる霊であるということを覚えたい。
②<同じことばで祈られた>
39節:イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
イエス様は何故、前と同じことばで祈られたのだろうか・・。
できることならば十字架刑を受けたくないという願いに対しての神様からの承諾が得られなかったからではないか・・。
私たちにおいては尚更、私たちの願いが、今、神様に承諾されたというようなことは分からないというのが普通なのではないか・・。
少なくとも、私たちにおいては、何と祈っていいか分からなくても、前と同じ言葉で神様に願っていいのであるということが分かるのではないか・・。
神様は私たちが神様に頼ることを喜んでおられる。