top of page

「目を覚ましていなさい」

  • 佐々木 優
  • 2022年10月16日
  • 読了時間: 2分

2022年10月16日(日)

テキスト:マルコの福音書13:33~37 (新約聖書97頁)


 33節:気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。

 「目を覚ましている」とは、寝入らぬように目を開く努力を表したことばである。

 イエス様がエルサレムに入って来てからは(マルコ11:11~)、エルサレム神殿の指導者たちに対する警告が続いてきた。律法学者・パリサイ人たちは、口先や外見上では神様を崇めているように見せているが、心は遠く神様から離れていた。彼らの多くは、「聖書も神の力も知らなかった」(マルコ12:24)と言えるであろう。彼らは人間の知恵、知識に固執し、霊的な事柄を軽んじ、神様との生きた交わりも希薄となっていた。彼らはイエス様から見ると、「目を覚ましていない」「寝入っている」状態であった。「寝入っている」状態なので、神様との意思の疎通はないのである。

 ここまでの聖書の文脈から考えると、「目を覚ましている」とは、神様との生きた交わりを持って生きているということであると考えられるであろう。クリスチャンは罪赦された罪人である故に、神様との意思の疎通が完全になされているわけではないし、わずかばかりの疎通であるとも言えるのではないか・・。しかし、それでも、神様に聴き、語りかけ、問いかけ、願い、助けを乞う生き方は「寝入ってはいない」のである。

 「しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ」(34節)とあるが、人にはそれぞれに賜物が与えられている。この賜物は隣人を自分のごとくに愛そうと努めて生きるために与えられている。隣人愛に努めた結果はそれぞれ違っていて良いのである。良い働きをしているかどうかという結果だけを神様は求めているのではない。人は、神様の愛に応えて隣人愛に努めて生きようとすることが大切なのである。

 イエス様は再びこの地上に来られる。しかし、その日その時は誰にも予測できない。35節「家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。」

 「主人が突然帰って来て」(36節)イエス様が思わぬ時に再臨されても、私たちは常日頃から、神様に聴き、語りかけ、問いかけ、願い、助けを乞うて・・、生きておられる神様との交わりを持ちつつ、隣人愛に努めて生きていくのである。それが「目を覚ましている」状態なのである。


最新記事

すべて表示
「そのままでいいよを伝えるために」

2026年2月15日(日) テキスト:ルカの福音書4:38~44 (新約聖書117頁)   イエスさまが地上におられた時の活動の目的は 「神の国の福音を宣べ伝える」(44節) ためであったと言えるでしょう。神の国とは、一人一人の存在と尊厳がそのまま認められ、温かい寄り添いがされる場です。そしてそれを引き継いでいるのが教会です。  イエスさまは失敗や罪を責めることもなく (ヨハネ8章の姦淫の現場を押

 
 
「イエスさまが守って下さっているーサタンの活動はほとんど意識しないー」

2026年2月8日(日) テキスト:ルカの福音書4:31~37 (新約聖書116頁)   (4:31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。) ナザレ(標高360m)からカペナウム(標高マイナス200m)までは下りである。カペナウムは、ガリラヤの町である。漁業の町で、ペテロとアンデレのホームタウンである。 (4:32 人々はその教えに驚いた。その

 
 
「苦難の前には神さまからの力づけがある」

2026年2月1日(日) テキスト:ルカの福音書4:20~30 (新約聖書116頁)   (4:20 イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。) 故郷に凱旋したイエスさまが故郷の自分たちに何を語ってくれるのかと大きな期待を持っていたのでしょう。 (4:21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現

 
 
bottom of page