「目で見ず、心で理解せず」
- 佐々木 優
- 2017年10月7日
- 読了時間: 3分
2017年10月8日(日)
テキスト:ヨハネの福音書12:36 ~41(新約聖書206頁)
〇36節「あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」
イエス様は愛して止まないユダヤの民衆一人一人に、「やみがあなたがたを襲うことのないように」「やみの中を歩かないように」わたし(*1)を信じなさいと語られた。イエス様はこれまで、ラザロを死人の中から生き返らせたり、不治の病を治すなど、ご自身が神であることのしるしを表された。しかし「彼らはイエスを信じなかった。」(37節)なぜ信じなかったのか、それは、「彼らが目で見ず、心で理解せず、回心しない」からであるとヨハネは語る(40節)。ユダヤの民衆にとってのメシヤとは、ローマ帝国の圧政から自国を解放する者であり、「いつまでも生きておられる」不死身のメシヤであった。彼らはイエス様をそのままで見ようとはしなかった。彼らの眼鏡をかけた目で見、理解していた。故に、イエス様を罪から救う救い主であるとは信じなかったのである。信じない者たちはなお、その心を頑なにし、自分たちの思想に固執した。「主は彼らの目を盲目にされた。」とあるが、イエス様がご自身を神であり、罪からの救い主であると語ることによって、結果的には民衆が心を頑なにしたということである。神様は人間を思いのままに操るロボットのようには扱われない。ユダヤの民衆が自分たちの考えのもとに結果的に心を頑なにしたことを神様はそのままにされたのである。それが「そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」(40節)ということばの意味である。
〇預言者イザヤはイエス様よりも700年以上前の人であるが、イザヤの時代にもイザヤが神様からのことばを語れども「彼らが目で見ず、心で理解せず、回心しない」ということが起った。イザヤはイエス様の時代にも同じようなことが起こるということを神様から示され、約700年後のことも含めて語った。ヨハネは、イザヤが語ったことばはイエス様の時代のことをも指していたのだと分かったのである。「イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。」(41節)
〇イザヤが語ったことばはイエス様の時代にも起こり、そして、それは現在でも同じことが起こっていると言えるであろう。イエス・キリストが歴史上に存在したということは史実である。イエス様を信じない人々は、まず、そのことをそのままに見ているだろうか。自分の思想に固執せずに、眼鏡をかけずに、聖書に記されているイエス・キリスト見、理解しようとしているだろうか。私たちは、そのままを見て理解してもらえるように働きかけていきたい。結果的には心を頑なにする者が起きても。
*1:神様は、イエス様を神であり、罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じる者に罪の赦し(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)を与え、神様との愛の交わりの中で、神様のもとで生きることによって満たされて生きるものとして下さる。