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「目が見えるようにしてください」

  • 佐々木 優
  • 2022年7月9日
  • 読了時間: 2分

2022年7月10日(日)

テキスト:マルコの福音書10:46~52(新約聖書89頁)


 エリコはエルサレムから約25㎞離れた地点にあった。イエス様の一行を含めて、過越の祭りに行くために、エルサレムへ向かう多くの人が沿道を埋めていた。

 この盲人が生まれつきの盲目であったかどうかは分からないが、当時、ユダヤの社会では、人が盲目に生まれつくのは、次のいずれかの理由によると考えられていた。「胎児は母の胎内にいる時に罪を犯すことができる」という考えに基づいて、その人に責任があったとする考え方。もう一つは、両親に責任があるとする考え方。

 このような当時の背景を考えると、この盲人も、人々から罪人(けがれた者)扱いをされ、社会からも阻害されていたであろうと考えられる。故に、物ごいをして生きる糧を得ていたのではないか。

 この盲人は、イエス様が病人を治したという奇蹟を耳にしていたのかもしれない。イエス様が目の前を通っていくということを知ると、大声で「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び始めた(47節)。多くの人たちが彼を黙らせようとたしなめたが、彼は、「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と、ますます叫んだ(48節)。イエス様は立ち止まり、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。すると彼は、上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た(50節)。イエス様は彼に、「わたしに何をしてほしいのですか。」(51節)と尋ねた。彼は「先生、目が見えるようにしてください。」と答えた。

 彼が求めることはこの1点だった。彼は苦しく悲しみの人生を送ってきたのであろう。この盲目さえなければと、どれだけ盲目を恨むような思いで生きてきたことだろうか。

 イエス様は彼に「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」(52節)と言われ、彼の盲目を癒された。すると、すぐに彼は、道を進むイエス様について行った。

 イエス様がここで言われた「あなたの信仰があなたを救いました。」の「あなたの信仰」とは、どのような信仰であろうか。それは、子どものように純粋に神様に求める信仰と言えるのではないか。(マルコ10:15参照)

 彼は、周囲の人々が彼を罪人として蔑み、罪人の分際で、イエス様に何をしゃしゃり出て、願い事をしているのか、という情けのない制止にも怯まなかった。彼は、何が何でも盲目から癒されたかったのである。イエス様はそんな彼の思いを無碍にはされない御方なのである。そして、私たちの切なる願いにも同様に応えて下さるのである。

 癒された彼は、あまりの喜びにイエス様について行った。

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