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「皆のしもべになることのできない私を知っているイエス様」

  • 佐々木 優
  • 2022年7月2日
  • 読了時間: 4分

2022年7月3日(日)

テキスト:マルコの福音書10:32~45(新約聖書88頁)


 32~34節:さて、一行はエルサレムに上る途上にあった。イエスは弟子たちの先に立って行かれた。弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二人をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを話し始められた。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」

 弟子たちの先頭に立ってエルサレムに向かって行くイエス様に、弟子たちはただならぬ気配を覚えたようである。そんな弟子たちにイエス様は三度目の受難の予告をする。しかし、弟子たちにその真意は分からず、ヤコブとヨハネに至っては、イエス様がエレサレムに行き、ユダヤの王の位に就く時がいよいよ来るのだと思い、その時には、自分たちを右大臣、左大臣のポストにつけて下さいと願い出る。

 38~39節:しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」彼らは「できます」と言った。そこで、イエスは言われた。「確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります。

 イエス様が予告された通り、後に、ヤコブは殉教の死を遂げることになる。それは一人の命が失われるという人間にとっては究極の苦しみであろう。しかし、イエス様が受ける受難、父なる神様から完全に断絶されるという苦しみは誰も経験することのできない究極の苦しみなのである。この地上の罪の世界故に、イエス様を信じるが故に、結果的に殉教という悲惨な出来事が起こってしまう現実があるが、しかし、イエス様はご自分に従ってくる者の死を望んではおられない。命を懸けて従って来るようにとは命じていないのである。それが、「わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」と、「確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります」のことばに表されていると思われる。

 私たち人間は、命を懸けてイエス様に従いますなどと言える者ではないということを謙虚に認める必要があるのではないか・・。イエス様はそんな私たちのことをご存じである。にもかかわらず、私たちは命を懸けて従いますということを演じたり、あるいは、神様は命を懸けて従うことを望んでいますと伝えたりする間違いを犯しやすいのではないか・・。

 42節~45節:そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」

 イエス様は勘違いをしている弟子たちに対して、あなたがたはこのように生きられますか?と問いかけられたのではないか・・。「皆に仕える者になりなさい」「皆のしもべになりなさい」他者のために尽くし、他者の奴隷となる。これをできる者がいるのだろうか・・。イエス様にはそれができた。「贖いの代価」とは、戦争の捕虜や奴隷の自由を買い戻すための身代金を意味する。イエス様はご自分の命を十字架で与え、罪の奴隷となっている人間一人一人を自由にして下さった。

 私たちが辛うじて、「皆に仕える者になりなさい」「皆のしもべになりなさい」の生き方ができるとすれば、私たちのために十字架で命を捨てて下さったイエス様の愛に心を打たれる以外にはないのであろう。

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