「生まれて来る環境を選べなかったイエス様」
- 佐々木 優
- 2023年12月23日
- 読了時間: 2分
2023年12月24日(日)
テキスト:ルカの福音書2:1~20(新約聖書110頁)
ヨセフとマリアは住民登録のために居住地ナザレからヨセフの故郷ベツレヘムに向かう。ナザレからベツレヘムまでは約170キロ、当時では1週間くらいかかった。身重のマリアにはかなり厳しい旅であった。マリアはろばに乗って向かったと思われるが、いつ生まれるか分からない赤ちゃんのことを思うと常に不安が襲ってきてもおかしくはなかったであろう。それはヨセフにおいても同じであったであろう。ヨセフ、マリアは聖霊による処女懐胎からここに至るまでユダヤ社会から様々な非難を浴び続けてきたであろう。両親となったヨセフ、マリアの困難山積もさることながら、人間として生まれて来た神であるイエス様の困難も山積であったことが想像できる。
神であるイエス様は人間としてこの地上に来て下さった故に、私たち人間と同様に生まれて来る環境を選ぶことができなかったのである。親(ヨセフ、マリア)を選びことはできなかったのである。これが人間として生まれて来るということであった。
イエス様は以下のような負の面も経験したことと思われる。
①<血のつながりのない父ヨセフ>
イエス様は父親不明の子どもとして生きていった。
②<親の不理解への葛藤>
イエス様が12歳の時の出来事として、「しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。」(ルカ2:50)とある。イエス様は神でもあるが故に理解されにくい面が両親のみならず、兄弟たち(マタイ13:55、56)にもあったであろう。
③<経済的に豊かな家庭ではなかった?>
イエス様の家庭には兄弟が5人以上はいた。父ヨセフが早死にしたとすれば、その後は更に経済的に苦しかったのではないか・・。後に山上の垂訓として語られたことば「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)を語った時、聴いていた群衆の中には大勢の貧しい人々がいたと思われるが、イエス様はその人々の苦しみが身に染みて分かったのではないか・・。五つのパンと二匹の魚で1万人ほどの群衆に給食をした時には、それぞれで食べ物を調達することをイエス様は望まれなかったが、そこにいた貧しい人々が念頭にあったのではないか・・。
私たちと同様に生まれて来る環境を選べなかったイエス様は私たちに寄り添って下さる。