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「正直な思いを繕うことなく伝える」

  • 佐々木 優
  • 2023年1月8日
  • 読了時間: 3分

2023年1月8日(日)

テキスト:マルコの福音書14:32~42 (新約聖書99頁)


 イエス様は、地上の生涯の最後の日の前夜、弟子たちと共に過越の食事をされてから、ゲッセマネの園という所に行かれ、父なる神様に祈られた。イエス様は側近とも言える3人の弟子に、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(34節)と言われた。この当時、先生と呼ばれていた律法学者が弟子に自分の弱さとも取られる姿を見せるということはあり得なかったであろう。しかし、イエス様は弟子たちに対し、正直な思いをそのまま伝えられた。

 この地上におられた時の、100%人間でもあったイエス様は、私たち人間にとっての、人間としての完全な見本である。そのイエス様が、当時の人から見れば弟子に弱さとも取られる姿を見せるということをされたのである。

 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(34節)。それは神様への心の渇きを訴えた詩篇42,43篇で三度繰り返される、「わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。」(42:5、11。43:5)、「私の神よ私のたましいは私のうちでうなだれています。」(42:6)という表現に由来する。これはまさに武士道や西洋のストア主義で否定的に描かれる「心の乱れ」を表現したことばであると高橋秀典師は述べている(『心が傷つきやすい人への福音』ヨベル出版、64頁)。

 地上におられた時の、100%人間でもあったイエス様には、「心の乱れ」があったとも考えられるのである。

 「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」(36節)人の前でも正直な思いを言い表しておられたイエス様は、なおさら、父なる神様にも正直な思いを言い表しておられた。そして、この後、イエス様は、「悲しみのあまり死ぬほど」に思える道に進んで行かれた。「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」(36節)正直な思いを繕うことなく神様に伝えるということによって、「神様のみこころがなりますように」という祈り心が起こされるのである。

 十字架上で息を引き取る間際に大声で叫ばれたことば、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)。このことばを叫ぶ前にイエス様を罵倒していた人々は、このことばを聞き、なおイエス様を見下したであろう。人間的に見れば、死に際を格好良くしようなどと繕うこともできたであろうと思える。しかし、イエス様はこの時も、神様に正直な心の内を伝えたのである。周囲の人に繕うことなく。

 イエス様が述べておられる、「杯」、「悲しみのあまり死ぬほど」である事とは、この後に起こる十字架刑である。父なる神様とイエス様は、無限、永遠、不変の愛(人間では計り知ることのできない愛)によって結ばれていて、十字架刑の時まではその愛が破られるということは、一瞬たりともなかった。しかし、イエス様の十字架刑は、人間が釘づけにされるという苦しみのみならず、イエス様ができれば避けたかった、父なる神様との断絶が行われた。ゲッセマネの園においてイエス様が祈られた、父なる神様との愛の交わりが全く絶たれてしまうということは何としても避けたいという思いと願いは、イエス様にとっては最も自然で当然の願いであった。その自然な願いを繕うことなく伝えていたのである。

 私たちは神様に自分の思い・願いを繕うことなく、まず何よりも先に伝えているだろうか・・。そして、できることならば人にも・・。


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