「情けなく思えてもそれでいい②」
- 佐々木 優
- 2023年12月9日
- 読了時間: 3分
2023年12月10日(日)
テキスト:マタイの福音書1:18~25 (新約聖書1頁)
18節「イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」
この時、ヨセフとマリアは婚約期間中であった。ユダヤの婚約は、法律上は夫婦として認められていたが、一年の婚約期間を過ごした後に、夫婦としての実生活が始まるということになっていた。
この婚約期間中にマリアは聖霊の働きかけによって妊娠(イエス・キリストの出生に人間が関わっていない。イエス・キリストの誕生は100%神様の働き)するが、ヨセフは、そのお腹の子が自分と血のつながった子どもではないと分かったので、そのことが世間に知られれば、マリアは姦淫を犯したということになり、旧約聖書の律法によれば、彼女とその相手を石で打って殺してもよいという条項があった(申命記22:23、24)。しかし、当時のユダヤの民法によれば、ヨセフにはマリアを離縁する権利があり、公にはしないで離婚状を書いて内密に去らせるということが規則であった。
密かに離縁といっても、結婚をするという喜びに満ちていたヨセフにとって、愛する婚約者と別れなければならないというとてつもない悲しみもあったであろうが、何よりも、マリアが自分を裏切って不貞を犯したのだろうか・・という疑念の思いがヨセフを苦しめていたのではないだろうか・・。
ヨセフがこれらのことを思い巡らしていたところ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(20~21節)そして、ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じられたとおりにし、マリアを迎え入れていったとある(24節)。
20節を見ると、ヨセフが恐れていたのは、今、マリアを妻として迎え入れることだったのではないかと思われる。なぜならば、そのようにすれば、ヨセフが婚約期間中にマリアを妊娠させた当時者であると疑われることが濃厚だったからである。
ヨセフは正しい人であると記されている(19節)。この「正しい人」とは、「神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく守る人」ということを意味する。神様の御前に正しい人ということは、ヨセフは神様に対して嘘偽りのない人だったのである。故に、ヨセフは、聖霊によって身ごもったとマリアから告げられても、そのことを信じられなかったし、マリアの不貞を疑う気持ちがあることを神様に正直に述べていたのではないだろうか・・。。
マタイ1:1~17のイエス・キリストの系図で神様は、理想を求めておられるのではなく、情けなく思える家族でもいい、情けない家族だからこそ恵みを頂くことができるのだからそれでいいのだということを示されたのだと思われる。イエス・キリストの系図は、イエス様は理想的なところに来て下さるのではなく、情けない現実に思えるそのままのところに来て下さることを示しているのであることを思うと、本日の聖書箇所は、ヨセフが愛するマリアを信じきれない自分の愛の足りなさに失望しているそのままの姿のところに神様が来て下さったということが示されているのだと思います。愛する人を信じきれなくとも大丈夫ですよと神様が語って下さっているのだと思います。