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「悲しみのあまり死ぬほどの十字架に向かったイエスさま」

  • 佐々木 優
  • 2024年3月21日
  • 読了時間: 3分

2024年3月24日(日)

テキスト:マルコの福音書14:32~42 (新約聖書99頁)

 

 イエスさまは、地上での生涯の最後の日の前夜、弟子たちと共に過越の食事をされてから、ゲッセマネの園という所に行かれ、父なる神さまに祈られました。イエスさまは側近とも言える3人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)に、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(34節)と言われました。この当時、先生と呼ばれていた律法学者が弟子に自分の弱さとも取られる姿を見せるということはあり得なかったと思います。しかし、イエスさまは、いつものように、弟子たちに対しても繕うことなく素のままでした。

 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(34節)。それは神さまへの心の渇きを訴えた詩篇42,43篇で三度繰り返される、「わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。」(42:5、11。43:5)、「私の神よ私のたましいは私のうちでうなだれています。」(42:6)という表現に由来するそうです。これはまさに武士道や西洋のストア主義で否定的に描かれる「心の乱れ」を表現したことばであると高橋秀典師は述べています(『心が傷つきやすい人への福音』ヨベル出版、64頁)。

 36節には、「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」とありますが、イエスさまが述べておられる、「杯」、「悲しみのあまり死ぬほど」である事とは、この後に起こる十字架刑のことを指しています。

 何故、イエスさまは弟子たちに、あえてこの姿をお見せになったのでしょうか・・。イエスさまがいつものように素のままだったからということもあるでしょうが・・。

 聖書で使う「杯」には、次の三つのニュアンスがあるそうです。第一に、分け前、運命など、悲しみや苦しみのニュアンス。第二に、神様の民が味わうことができる祝福と喜び。第三に、運命を共にする者が同時に飲み干す時に分かち合う苦しみや祝福です。

 イエスさまは何事においてもごり押しをされない方です。ですので、本当は、「悲しみのあまり死ぬほど」であるこの気持ちを弟子たちも共に分かち合って欲しかったけれどもごり押しはせず、後になって、イエスさまの「悲しみのあまり死ぬほど」である十字架の意味を思い出してほしかったのではないでしょうか・・。

 「悲しみのあまり死ぬほど」だったのにはこのような意味があったからと思われます。

①十字架で釘付けにされるという恐ろしさ

 両手両足を釘付けにされるという刑

②父なる神さまとの断絶

 イエスさまは十字架上で息を引き取る間際に大声で叫ばれた。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)

 

 ガラテヤ人への手紙3章13節にはこう記されています。「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。」

 人間はアダムが善悪の知識の木に手を伸ばして以来、どのようにすれば神さまに受け入れてもらえるのかと常に自分をチェックし続けるような生き方をせざるを得なくなりました。律法を守れば神さまから受け入れられると思い込み頑張り続けました。まさに律法ののろいです。イエスさまは私たちを律法ののろいから贖い出すために十字架に向かっていかれたのです。

 しかしイエスさまが十字架に向かうことは簡単なことではありませんでした。悩み苦しみ、それでも私たちを愛するが故に十字架に向かって行かれました。

 イエスさまの十字架は私たちのためでした。神さまの愛を知らずに無限に善悪の判断をし続ける私たちのために、十字架で死に、よみがえり、私たちを天国に行くまですべての面倒を見るために。

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