「必要なみことばを思い出させて下さる」
- 佐々木 優
- 2022年4月23日
- 読了時間: 3分
2022年4月24日(日)
テキスト:ルカの福音書24:1~11 (新約聖書172頁)
8節、9節「彼女たちはイエスのことばを思い出した。そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。」女性たちは、イエス様の遺体が墓の中になかったこと、そして、そこに二人の御使いが来て自分たちに語ったことなど、すなわち、1~8節に記されている事柄、すべてを報告した。報告した相手は、十一人とほかの人たち全員となっている。この人たちは原語から見て、全員男性であった。
10節「それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話した」ここで使われている「話した」という動詞は、未完了形という動詞で、「彼女たちが繰り返し話していた」ことを表している。しかし、11節「この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。」とある。何故、信じなかったのか?女性たちの中には、イエス様の母マリヤもいる。また、イエス様の宣教活動の初めの頃から一緒に行動していたと思われるマグダラのマリヤも、イエス様の弟子のヤコブとヨハネの母もいる。弟子のヤコブとヨハネは自分たちの母の語る言葉なので、軽く扱って、信用しなかったのであろうか?男尊女卑の色濃い時代であったので、それ故、女性の言葉を軽く扱ったのであろうか?それにしても彼らは、3年近く、一緒に行動を共にしたマグダラのマリヤの言うことも信じなかったのである。
女性たちが繰り返し証言し続けるイエス様のよみがえりを信じられないのは、死んだ人間がよみがえるということを信じることがいかに難しいことかを物語っている。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3)とみことばにあるように、神様が人間に働きかけ信じられるようにしてくださらなければ、十字架刑によって死んだイエス様がよみがえったということを信じることはできないのである。
8節の「彼女たちはイエスのことばを思い出した。」の「思い出す」という動詞は、過去形の受動態という動詞の使われ方がされており、「思い出させられた。」となる。女性たちは、愛するイエス様があっという間に十字架にかけられ亡くなったというあまりの衝撃に、混乱と失意のどん底の最中にあった。更に、イエス様の遺体が墓の中にないことに途方にくれ、そして、二人の御使いを見て恐ろしくなってしまった。神様はそんな女性たちにとって必要なみことばを思い出させてくださったのである。
神様は、イエス・キリストを神であり、罪(神様から的を外していること、及び、犯す数々の行為罪)からの救い主であると信じる者に罪の赦し(神様からの的外れの回復と、犯す数々の行為罪の赦し)と、永遠のいのち(神様との愛の交わりの中で神様と共に生きるいのち)を与えるために、イエス・キリストを十字架にかけ、甦らせた。そのことを信じる者は死を迎えても、魂は神様と共に生き続け、イエス様の再臨の時には新しい体が与えられ、体と魂共々に神様と共に生き続けるのである。そのことを神様は、神様の定めた時に、神様のご計画に従って信じられるようにして下さるのである。
そして、今を生きる私たちクリスチャンに、必要な時(神様の定めた時)に、必要なみことばを思い出させて下さるのである。