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「心の葛藤を理解して下さっている神様」

  • 佐々木 優
  • 2017年10月14日
  • 読了時間: 4分

2017年10月15日(日)

テキスト:ヨハネの福音書12:42 ~43(新約聖書206頁)

 

〇イエス様は愛して止まないユダヤの民衆一人一人に、「やみがあなたがたを襲うことのないように」「やみの中を歩かないように」(12:35)わたしを信じなさいと語られた。イエス様はこれまで、ラザロを死人の中から生き返らせたり、不治の病を治すなど、ご自身が神であることのしるしを表された。しかし「彼らはイエスを信じなかった。」(37節)とある。しかし42節には「しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。」とある。「ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。」告白はしなかった理由は、「会堂から追放されないためであった。」ということ。


〇「会堂」とはユダヤ教の会堂のことであり、礼拝が行われるところであり、普段は律法の教育や、地方的事件の処理も行われた。会堂から追放されるというのは、ユダヤ人の共同体、交わりから村八分(絶交処分・仲間はずれ)にされるということ、ユダヤ人社会から追放されるということだった。神は唯一であるとするユダヤ人にとって、イエス様を神として救い主として信じるということは、神への冒涜罪であった。故に、イエス様を信じる者は、律法を破った者であり、その者たちを会堂から追放する指導者(議員)たちは、「自分たちは神に奉仕をしている」と考えていた。ユダヤの指導者(議員)たちの中にもイエス様を信じる者がたくさん起こったのであるが、彼らは会堂から追放されたくなかったので、イエス様を信じたという告白はしなかったのである。


○12章37節からの一連の記事を読む限り、イエス様を信じたがその告白はしなかった指導者たちを非難、批判しているようには思えない。なぜならば、「イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。」(37節)と、信じていて不思議ではないのに、信じない者がいる現実に悲しみを込めるように述べた後に、「しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。」と述べているからである。「指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。」ということを心から喜んだのであろう。心から喜んだのであるが、「ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。」という現実も付け加えたのであろう。ユダヤ人が「会堂から追放」されるということがどれ程に、その人の人生を変えてしまうことであるかを著者のヨハネが分からないわけがない。ユダヤの指導者になるために、どれだけの努力を積み重ねてきたのであろうか。その土地で生まれた人間関係、友人関係、その置かれた身分、立場、それらを捨て去るということがどれ程に大きなことであるか。ヨハネは、イエス様を信じたが会堂から追放されないために信じたという告白をしなかった指導者たちの計り知れない思いを思いはかって、「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」(43節)と、「愛した」ということばを使って述べたのではないか。


○人は、もともと、誉められなければ生きていけない存在なのではないかと思う。人間が神様のもとから離れて行く、罪を犯す前は、常に神様の愛を感じて生きられたために誉められる必要性は感じなかったのであろうが、しかし、罪を犯した後は、人から褒められて自尊心を保とうとすることが主となっていったのであろう。クリスチャンになったとて、この地上に生きている限り、誉められようとする対象を100%神様とすることはできないであろう故に、私たちは常にどこかで人から褒められて自尊心を保とうとしているのではないか。聖書はクリスチャンであっても「弱さ」があることを示している(パウロにもパウロなりの弱さがあったことを聖書は記している。使徒18:1~11、Ⅰコリント2:3、Ⅱコリント12:1~10等)。本日の聖書箇所の指導者たちは、おそらく、イエス様を信じてから、それ程の期間が経っていない方々だったであろう。そのような方々が、「イエス様を信じたことを告白する」か「会堂を追放される」ことを選ぶかの決断をするのは容易ではないだろう。その人の心の中にある複雑な心理は人が外側から見て理解することはできない。神様はそんな人間の心の葛藤を誰よりも理解して下さっているということが本日のみことばにも表れているのだと思う。

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